四国88ヶ所めぐり遍路の足袋  寺巡り
弘法大師ゆかりの88ヶ所の寺院の総称で、これらを結ぶ遍路道を順に辿ります。1400kmにも及ぶとか。気長にゆっくりと、挑みます。

2日目 4日目


第3日目

2019/6/6    12番付近の宿  ⇒  21番麓の宿   75.2 km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。
但し、17番井戸寺から18番奥山寺間でデータが一部飛んでしまいました。


12番付近の宿から13番 大栗山大日寺をめざして

焼山寺への上りに疲れ果てて焼山寺に泊まりたかったが、焼山寺には宿坊がなかった。ここの僧侶に紹介してもらったのがなべいわ荘(旧住友産業保養所)。宿泊者が女性遍路とふたりだけだったので、風呂は車で神山温泉いやしの湯まで送ってくれた。

写真は神山温泉近くの鮎喰川。これは吉野川の支流になります。焼山寺麓の宿舎からここまで下ってきた。    






13番 大栗山大日寺 明治より前、大日寺は阿波の総鎮守として知られる一宮神社の別当寺でした。神社を管理する寺院という事です。しかし、神仏分離令により寺と神社が分離する際、一宮神社に祀られていた十一面観音菩薩が大日寺の本尊となり、もともとの本尊であった大日如来は脇侍(サブ的な存在)となりました。神社に祀られていた仏様を本地仏(ほんじぶつ)と呼び、神様の姿となって表れた仏様という設定です。これが現在、大日寺の本尊としてまつられている十一面観音です。

御詠歌       阿波の国一宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世
宗派        真言宗大覚寺派
開基        弘法大師
ご本尊       十一面観世音菩薩
創建        815年
所在地      徳島県徳島市一宮町西丁263

     



山門
本堂
阿弥陀如来
鐘楼
地蔵堂
大師堂
しあわせ観音   


13番 大日寺から 14番 成寿山常楽寺をめざして

大日寺の前の県道21号線を挟んであったのがnこのお宮。阿波の国一之宮 一宮神社
一宮神社本殿



14番 成寿山常楽寺 本堂前には大きなアララギの木がある。弘法大師が病に苦しむ老人にアララギの木を煎じて飲ませて快癒した。それを挿し木したものが根付いたと伝えられ、あらゆる病に霊験があるとされる。木の股のところに小さな石の大師像が祀られ、「あららぎ大師」と呼ばれている。

御詠歌       常楽の岸にはいつか到らまし 弘誓の船に乗りおくれずば
宗派        高野山真言宗
開基        弘法大師
ご本尊       弥勒菩薩
創建        815年
所在地      徳島県徳島市国府町延命606

     



石塔
本堂
本堂
鐘楼    

15番 薬王山国分寺 四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」である。仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724?49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれる。

御詠歌       薄く濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死の秋のもみじ葉
宗派        曹洞宗
開基        行基菩薩
ご本尊       薬師如来
創建        天平13年(741)
所在地      徳島県徳島市国府町矢野718-1    
     



山門
本堂は工事中で入れませんでした。矢印で示された方向に仮本堂があり、そこで記帳してもらいました。
大師堂
鐘楼   


 16番 光耀山観音寺 新しい仏足跡が納められていた観音寺。夜泣き地蔵は、子どもの夜泣きだけではなくお年よりで夜眠れない悩みのある人が願かけにおとづれる。

御詠歌       忘れずも導きたまえ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ
宗派        高野山真言宗
開基        弘法大師
ご本尊       涅槃釈迦如来
創建        741年
所在地      徳島県徳島市国府町観音寺49-2   
     



山門
本堂
大師堂
弘法大師石像
八幡神社   


17番 瑠璃山井戸寺 弘法大師が、水に恵まれない村人のために、一夜で井戸を掘ったことが寺号の由来。

御詠歌       面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかやおちなん
宗派        真言宗善通寺派
開基        天武天皇
ご本尊       七仏薬師如来
創建        白鳳2年(673)
所在地       徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1
     



仁王門
本堂
大師堂
鐘楼
日陰大師
この井戸は、むかし弘法大師が四国霊場御開創の時この付近の水が泥水なのをあわれみ、錫杖で一夜のうちに井戸を掘られたところ清水涌き出し大師一夜建立の井戸で有名になり、 寺号を井戸寺と名付けられた。当寺御詠歌「面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかやおちなん」と大師自らこの井戸に面影を映された。日を限って心願すると直ちにご利益をこうむるという。よって、世に日現大師と言われ霊験あらたかなり。                    説明板から
お大師さまと雀
乾天神地の間にある自然に生かされ、お大師様のおかげをいただき、三歳より踊り続けて70年。お縁がありましてお大師さまの建立の発意。その折に東日本大震災がおこりました。 かってない困難のなかで、皆様の一日一日を大事にと、小さな雀も願いをこめましてここに建立させていただきます。
   施主  藤江 雀                     説明板から              

18番 母養山恩山寺をめざして

国道102号線を通って、徳島中心地に向かう。鮎喰川を渡っています。
さらに徳島市が近付いてきた。眉山が見えてきた。


 18番 母養山恩山寺 弘法大師の母、玉依御前(たまよりごぜん)が、この寺に息子を訪ねてきたが、女人禁制だったために会えない。大師は、女人禁制を解く修行をし、母と対面することができた。 母はこの寺で出家。これにちなんで寺号を母養山恩山寺とした。出家の際に剃髪した髪が、玉依御前の剃髪所に納められている。

御詠歌       子を生めるその父母の恩山寺 訪らいがたきことはあらじな
宗派        高野山真言宗
開基        行基菩薩
ご本尊       薬師如来
創建        天平年間(729〜749)
所在地      徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40
     



恩山寺ビランジュ    県の天然記念物
ビランジュはサクラと同族のバラ科の常緑高木である。もともと3本の木が合わさり一樹となっている。樹皮は灰褐色であるが鱗片となり脱落しやすく幹肌は紅黄である。 葉は長楕円形で先はとがり表面は濃い緑色である。ビランジュの名はインドの昆欄樹(びらんじゅ)にあてたもので、恩山寺が弘法大師ゆかりの地であるため、そう呼び伝えている。       説明板から
弘法大師御尊像
大師堂
本堂
鐘楼


19番 橋池山立江寺 聖武天皇の勅願寺で天平十九(747)年、行基菩薩が光明皇后の安産を祈って、高さ六センチの黄金の地蔵菩薩を安置したのが起源

御詠歌       いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓の舟に乗りていたらむ
宗派        高野山真言宗
開基        行基菩薩
ご本尊       延命地蔵菩薩
創建        天平19年(747)
所在地      徳島県小松島市立江町若松13
     



山門
鐘楼
毘沙門天
大師立像
本堂
多宝塔
大師堂
護摩堂


20番 霊鷲山鶴林寺 空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。 境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。

御詠歌       しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
宗派        高野山真言宗
開基        弘法大師
ご本尊       地蔵菩薩(伝弘法大師作)
創建        延暦17年(798)
所在地      徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
     



山門
本堂
本堂の両側には2羽の鶴。
三重塔
鐘楼
大師堂・納経所
大師立像


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