佐渡島めぐり
コロナウィルスの嵐も一休み。GoToTravel で佐渡島の旅に参加した。

1日目 3日目


第2日目


2020/10/31    相川→きらりうむ佐渡→尖閣湾揚島遊園→佐渡金山→北沢浮遊選鉱場跡→白雲台→尾畑酒造→トキの森公園→相川  バス走行 120 km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。


ホテルから尖閣湾に向けて

ホテル前の海岸
ホテル前の海岸
きらりうみ佐渡
バスの窓から尖閣湾方面を望む。

尖閣湾揚島遊園

海岸段丘で出来ていることがわかる。
先人を称える碑
「君の名は」の碑
佐渡大崎灯台
遊覧船乗り場へ導く橋。下の潮は荒れ狂っており、乗り場まで下りたが、波の所為で遊覧船は運休。残念ではあったが、船酔いで佐渡にわたってきた所為で無理に乗りたいとも思わなかった。




佐渡金山


金山入口
坑道跡に採掘作業を人形を使って忠実に再現。
坑道跡に採掘作業を人形を使って忠実に再現。
国指定 宗太夫坑

北沢浮遊選鉱場跡

佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。
1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。
1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました。
1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました。
その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました。
平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。
レンガ造の火力発電所
濁川両岸の傾斜地を利用して造られた金銀生産ラインの最終工程を受け持つ精錬所や選鉱場などの施設。
鋳造工場跡
鋳造工場は、木型工場で組まれた木型を基に作られた鋳型へ溶けた金属を流し込み、さまざまな種類の機械部品を製造する施設であった。鋳造工場や鍛造工場などで製造された機械部品は、仕上工場で最終的な加工作業が行われた。 発掘調査によって、鋳造工場のコンクリート製の柱や巨大な地下穴、レンガ敷の床面などが見つかった。また、鉄を溶かすためのキューポラ(溶銑炉)も残っており、当時の工場施設の規模がよくわかる貴重な構造物である。
                 〜 案内説明版から 〜
御料局佐渡支庁跡
維新とともに我が国鉱業界の黎明を告ぐる設備の洋風近代化は、まず我が佐渡鉱山において典型的な、そして先駆的な急展開をみせた。 すなわち、この建物は明治18年工部省官営当時並びに28年御料局佐渡支庁当時の貴重な洋風2階建、建造物で、当時の面影を今に伝えて、興味深いものがある。               〜 案内説明版から 〜
相川郷土博物館
佐渡鉱山の縮小に伴って、その鉱山資料を保存するため昭和31年、町立博物館として発足した。建物は、三菱鉱山移管以前の御料局以前のもの。館内には、貴重な鉱山資料はじめ考古資料、海府民俗資料が保管されている。            〜 案内説明版から 〜



昼食を取った民宿前に広がる海岸

安山岩を原岩とする緑色岩がみられる。珍しい風景。
ここから見ると波は無いように見えますが、磯辺は荒れてます。   

白雲台

展望台から東方向に広がる加茂湖と両津港
展望台から東方向に広がる加茂湖と両津湾
金北山には自衛隊の大きなレーダーがあります。日本海を挟んで対峙するロシア、北朝鮮、中国を睨みます。ここから南方向に降りて行く道は自衛隊が作り、管理する道でコンクリート舗装されてました。
寒いとはいえ佐渡島は海に囲まれ、標高1172mの金北山は寒暖差が少なく、山は黄色で紅くは染まっていませんでした。



尾畑酒造

利き酒は何回となく並んで十分味わった。少し甘いとか言われてもわからなかった。
今年のKURAMASTERの純米大吟醸部門で最高賞プラチナ賞を受賞したとありますが、普通の酒との差がわからなかった。

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