佐渡島めぐり
コロナウィルスの嵐も一休み。GoToTravel で佐渡島の旅に参加した。

2日目


第3日目


2020/11/1    相川→宿根木→たらい舟→小木港→直江津港→JR上越妙高駅→金沢駅→大阪駅→三田駅  バス走行 120 km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。


宿根木

宿根木集落前に広がる海岸。ここにも、たらい舟がありこちらは男性が櫓をこぐ。
日本海から吹き付ける北風を防ぐ細い竹を編んで作った「風垣(かぜがき)」が集落を守る。
柴田収蔵の生家
柴田収蔵は文政3年(1820)宿根木に生まれた。青年期には、幕末という歴史の転換期が迫りつつあることを敏感に受け止め、旺盛な向学心に燃えて江戸へ上り、苦学の道を進んだ。 そして蘭学、医学、天文地理学を極めた。
その後幕府に士分けで奉職し藩書調所絵図取締役として、現在の国土地理院の仕事に類似した業務に携わった。 鎖国政策の中で常に世界に目を向けた進歩的な学究態度は宿根木の先駆的人物として、今日も人々に尊敬され親しまれてている。
                           〜 案内説明版から 〜
清九郎
江戸時代中期に廻船業を始め、幕末から明治にかけて財をなした船主が建てた家である。
平成2年(1990)の修復工事中に安政5年(1858)の墨書を発見した。この墨書は小修理の記録であることから建築はそれ以前とされる。外観は質素であるが、内部に意匠を凝らしており、 宿根木の建物の中でも建築材料、技術とも最高水準を誇る建物の一つである。
                〜 案内説明版から 〜
清九郎
腰板
分厚く風格のある板は、千石船建造の際に余ったものや廃船になったものを利用している。船に使われる板は、一番外側の板でも36mmほどある。 これらは虫の被害を防ぐためで、数年で取り換えられる。船には役立たなくなるが、一般家屋にとっては宝のような材である。造船の廃材や派生材は十分に利用され、それがまた千石船の里らしさを演出している。
                    〜 案内説明版から 〜
穴口
廻船主佐藤伊左衛門家の屋敷。越前三国港付近から千石船で運ばれた笏谷石の敷石や広い庭が見られる。佐渡の長者番付にも名を連ね、広大な土地を所有していた。
                    〜 案内説明版から 〜
穴口
旧郵便局舎
所有する石塚権兵衛家は、明治中頃に廻船業を転業し、薬局や郵便事業を営んだ。洋風建築の郵便局舎は、大正10年の電信・電話の開始を記念し建てられた。
                               〜 案内説明版から 〜
洗い場
穏やかな川の流れと、身近な清流が豊かさを伝えるが、時に水害を起こす川でもあった。1846年の水害では、死者45人、家屋損壊50軒の被害を出した。
洗い場は、かっては14か所ほどあり、上流と下流で洗うものをきちんと区分し利用していた。今でも時折、畑で取れた野菜などを洗う光景が見られる。      〜 案内説明版から 〜
宿根木公会堂
 様々な行事に使用される芝居小屋形式の集会施設。大正期に建てられた旧公会堂と位置・規模など、ほぼ同じに建てられている。昭和レトロの雰囲気を感じさせる建物。
                            〜 案内説明版から 〜
白山神社 石鳥居
よく見ると石橋に、「安永5年(1776)申高津」と銘が刻まれている。白山神社石鳥居には安永2年(1773)の年号が刻まれており、いずれも船主・高津勘四郎の寄進とされる。石材は瀬戸内海産の御影石で、現地で施工された。 当時の日本海側の活発な交易の様子がうかがえる。
                                 〜 案内説明版から 〜
称光寺 山門
貞和5年(1349)開創と伝わる時宗の古刹。本堂は、大正12年10月に起きた称光寺大火後の建築。火災を免れた山門は享保2年(1713)の棟札が残り、建築物で最も古い。
                               〜 案内説明版から 〜
称光寺 本堂
貞和5年(1349)開創と伝わる時宗の古刹。本堂は、大正12年10月に起きた称光寺大火後の建築。火災を免れた山門は享保2年(1713)の棟札が残り、建築物で最も古い。
                               〜 案内説明版から 〜
称光寺山門に彫られた透かし彫り
三角家
建物の形から三角家、舟形の家などと呼ばれている。川の中州を埋め立ててできた敷地に隣町から主屋を移築し、土地に合わせて三角形に切り詰めて建てられた。 最大限に土地利用を図った知恵と技が見られ、宿根木を象徴する建物の一つである。建物内部は、現代まで工夫しながら機能的に使ってきた暮らしぶりがよくわかる。          〜 案内説明版から 〜
伊三郎
明治24年(1891)に工事着手された主屋であるが、建築中に船乗りであった親子2代が海難に遭い、一時未完成のまま使用されていた。建築後102年を経た平成5年(1993)に修復が行われたが、 その際に確認できたことは傷みの激しさであった。姓の石塚の一時を彫透かした軒下飾りを付けるなど、生活を楽しもうとする時代の流れを感じさせる建物である。
                                〜 案内説明版から 〜   

たらい舟・湾内遊覧

たらい舟
こちらの船の船頭は女性。編みだ傘に意外と重労働とか?
このモーターボートで虫谷の入江や琴浦洞窟へ案内された。いずれも海側からしかアプローチできないところ。
虫谷の入江

2日目

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