北海道六大岬めぐり
北海道六大岬とは阪急トラベルtrapicsが客寄せで銘打ったものですが、半数超はそれに相当するものでした。

3日目 5日目


第4日目


2019/10/18    知床五湖⇒能取岬⇒サロマ湖⇒宗谷岬⇒稚内温泉  バス走行 432.8 km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。


知床五湖

知床連山  羅臼岳
知床連山
知床五湖の一湖   この期間一湖のみ立ち寄れる。
知床五湖の一湖   この期間一湖のみ立ち寄れる。
知床五湖の一湖
知床五湖の一湖付近からオホーツク海を望む。
知床連山
知床連山

知床から能取岬

白樺
象鼻岩
夫婦岩
釧網本線の小さな駅:藻琴駅
映画「網走番外地」のシーンには、度々駅舎が出てくる。この網走の藻琴駅がロケで使われた。
トイレ休憩で立ち寄った入丸水産の横の海岸線

能取岬
(のとろみさき)
この旅行に来るまでこの岬の名前を聞いたこともなかったし、知らなかった。

映画のロケ地として、中国人や韓国人にも人気の地とか。

能取岬は、北海道網走市中心部の北側に位置する、オホーツク海に突き出た岬です。岬の突端には灯台と管理事務所があるだけなので、西に能取湖と常呂町の海岸、北はオホーツク海が広がり、東は遠くに知床連山が見渡せ、その眺めは最高です。夏にはお花畑や緑の草原が広がり、夜にはとても美しい星空が、冬には流氷が岬の眼下に広がり、流氷の絶景スポットとしても知られています。                網走市HPより

能取灯台
2009年に映画化された。  この映画のロケ地となったのは、原作者・西村の出身地のここ。  
妻と娘と赤ん坊の息子を置いての単身赴任で、南極観測隊員のメンバーとして新たに派遣された、海上保安庁の所属隊員・西村淳。その任務は、南極大陸の昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、ドームふじ基地で越冬する隊員8名分の食事を用意することだった。      from Wiki    
2006年公開。
東京から、北海道で獣医を営む幸次の元に預けられた太一は、ある日母親からはぐれた子ぎつねを拾う。その子ぎつねは頭に怪我を負い、視覚・聴覚・嗅覚を失っていた。幸次たちに見守られながら、ヘレン・ケラーにちなんでヘレンと名付けた子ぎつねを、太一は「サリヴァン先生」と呼ばれながら、懸命に育てる。                            from Wiki 

サロマ湖からオホーツク海沿いを

サロマ湖東岸
サロマ湖西岸
道の駅「オホーツク紋別」  カニの爪像
道の駅「オホーツク紋別」   カリヨン広場
道の駅「オホーツク紋別」   アムールの鐘
道の駅「オホーツク紋別」 から見たオホーツク海

宗谷岬

日本最北端の地の碑
この地は、現在、私たちが自由に往来できる日本の領土としては最も北に位置する宗谷岬の突端、北緯45度31分22秒に立てられています。北極星の一稜を象徴した三角錐をデザインしており、中央の”N"は北を、台座の円形は2平和と強調”を表しています。対岸のサハリン島クリリオン岬までは43kmほどの距離で、天候に恵まれると、背後に広がる宗谷海峡の彼方にかって日本領(樺太)だったその島影を望むことができます。
北緯45度線上にある世界の都市を挙げると、イタリアのミラノ、カナダのモントリオール、フランスのリヨンなど、また東京は北緯35度、日本最南端の都市、石垣市は北緯24度に位置しています。
                              案内説明板から転載
間宮林蔵像
江戸幕府からの命を受け北方探索に赴いた間宮林蔵は、1809年に間宮海峡を発見して、樺太(現・サハリン)が島であることを確認しました。この発見は、当時の世界地図の空白を埋める偉業であり、林蔵は世界地図にその名を残しました。その後、師である伊能忠敬の事業を引き継ぎ、蝦夷地(現・北海道)の地図作成にも多大な貢献を果たしています。
このブロンズ像は、彫刻家・峯孝氏の作品で、林蔵が樺太へ渡る決意を秘め、はるか海の彼方を眺める姿を表しています。この場所から国道238号線を稚内方面へ3kmほど進んだところに、林蔵が探検に出発したと言われる場所が残されており、記念碑が立っています。       案内説明板から転載
日の入り
「宗谷岬」の歌碑  
流氷館内
海の彼方に見えるのは利尻富士


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