新西国霊場とは 大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。 戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。 近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
5番 道成寺から 6番 御衣寺宝亀院をめざして
2017/8/21 道成寺 ⇒ JR紀伊内原駅 22.8km
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海士王子跡 熊野古道・紀伊路 2015/8/23に湯浅駅から紀州鉄道・西御坊駅までを歩いた時に訪れていた。2年ぶりの再訪。 |
水路沿いの熊野古道・紀伊路を行く。 |
御崎神社 和歌山県日高郡美浜町和田1788-1 神武天皇が熊野入りした際に参拝があったといいます。平安時代に記された「紀伊國神名帳」では、正三位と記録されており、神階の高い神社であることを示しています。もとは背後の山の中腹にありましたが、859年に現在の場所に遷座しました。 そのときに境内にウバメガシの苗木を数百本ほど植えたとされ、ごく最近まで2株が残っていました。しかし、2010年に1株が枯死、残りの1株が県の文化財、天然記念物に指定され保護されています。 説明板 より |
御崎神社の拝殿に飾られている額には、「海幸舩守」 |
県立自然公園「煙樹海岸」 |
県立自然公園「煙樹海岸」を望む関西電力・御坊火力発電所。 紀伊水道を埋め立てて作られた人工島に浮かぶ発電所で60万kw×3基。 |
県立自然公園「煙樹海岸」 潮吹岩 |
県立自然公園「煙樹海岸」 潮吹岩 |
県立自然公園「煙樹海岸」 潮吹岩 |
三尾港・光明寺 和歌山県日高郡美浜町三尾864 三尾港に面した小さなお寺 |
県立自然公園「煙樹海岸」の阿尾園地 海水と真水の混ざり合う汽水性の和歌山県最大の湿地で当・県立自然公園の第一種特別地域。たくさんの生き物が生息しており、アオヤンマ、ハネビロエゾトンボやヒメビシなど絶滅のおそれがあり、 大切にしてゆかなくてはいけない生物も見られます。阿尾湿地は、大昔は海とつながっていましたが、海岸沿いに砂州と呼ばれる陸地が形成されたため干潟となりました。大正時代には、田舟を利用して耕作する水田だったため、今でも筋状の畦が湿地の中に見られます。 説明板 より |
産湯海水浴場 |
阿尾漁港と山には別荘が見られる。バブルが弾ける前の遺産か? |
8月21日に既に稲刈りをしていた。早場米として売り出すのか? |
JR紀伊内原駅に着いた。 |
駅前の熊野古道案内板。 黒竹と石畳の熊野古道 広川町井関から大峠・小峠を越えて、日高町原谷へ至る鹿ヶ瀬峠越は今もなお道険しく健脚向きといえるかもしれません。また小峠を越えると熊野古道に現存する最長の石畳道も残されており、静寂の中にいにしえのロマンを感じさせてくれます。 石畳道を下れば、そこは日高町原谷の里。ここは民芸品として珍重される黒竹の産地。ハイキング・山登りに最適な黒竹の杖など、捜してみてはいかがでしょうか。 説明板 より |
2018/11/18 JR紀伊内原駅 ⇒ JR紀伊由良駅 8.0 km
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熊野古道・紀伊路の分岐点。3年前に紀伊路を歩き通したが、」その時に通ったのを思い出した。 |
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高家王子 豊萩の句碑 「むしの音も つづまるや日は かげりはら」 建立年代は天保8年(1837)。豊萩は江戸時代中期、行年85歳、日高町萩原の人、俳諧をよく嗜み地錦庵(姓は崎山)と号して、多くの俳人と交遊があった。この碑は門弟たちにより建立された辞世の句である。 説明板jから |
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高家王子 鳥居と本殿 |
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高家王子 藤原定家の歌碑 「萩原や 野べより野辺に うつりゆく 衣にしたふ 露の月影」 藤原定家は建仁元年(1201年)後鳥羽院に随行して熊野詣をした時、御幸記といわれてる日記風の文書を残している。その中に切目王子で歌会があって、上皇より「野径月明」の歌題を賜ったことが記録にあり、おそらくその時に作られた歌と考えられている。この歌は鎌倉時代の勅撰和歌集「新千載集」にのせられている。 案内説明板から |
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高家王子 天仁2年(1109)に熊野参詣をした藤原宗忠は、10月10日に大家王子社に参拝しています。それからおおよそ百年後の、承元4年(1210)、後鳥羽上皇の後宮・修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資(よりすけ)も、4月26日に高家王子社に参拝しています。 この王子は、江戸時代には若一(にゃくいち)王子社と称され、萩原村東光寺の地にあったことから、 東光寺王子ともいわれています。境内には「長床」という僧の修行場、ないし宿泊施設が設けられており、法華寺という別当寺があったようですが、東光寺との関係は明らかではありません。明治時代に王子神社と改称されました。本殿は明治21年に暴風雨で倒壊したため、 2年後に再建されています。神社名は、大蔵省管財局の指示で、村の名称を使用して、 昭和28年に内原王子神社となりました。なお、旧社地は現在の地よりも北にあったと推定されていますが、詳細は不明です。 案内説明板から |
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西山浄土宗 池光山・来迎寺 |
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旧道を歩いています。池田城跡への分岐。 |
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熊野街道 国道42号線は歩道もなく怖いので、旧道の県道23号線を歩いた。峠をくり抜いたトンネルも現れたが、中は真っ暗。 |
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旧道・県道23号線の峠あたりから見た紀伊・由良の湾内。MES・KHI由良ドック鰍ェサンフラワーを修繕していた。この会社の名は長たらしいが、三井造船と川崎重工業の合弁会社らしい。 |
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蓮専寺 山門 |
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蓮専寺 本堂 |
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蓮専寺 鐘楼 |
2018/1/7 JR紀伊由良駅 ⇒ JR箕島駅 22.6 km
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紀伊由良駅からの熊野街道(国道42号線)を歩いてきたが、門前交差点で右折して、県道23号(御坊湯浅線)に入って直ぐの所に立つ「興国寺山門跡地の石碑」 |
興国寺山門 臨済宗の寺院。山号は鷲峰山。 葛山五郎景倫(後に願性)が鎌倉幕府3代将軍源実朝の菩提を弔うため、安貞元年(1227年)、真言宗「西方寺」として建立された。正嘉2年(1258年)、心地覚心(法燈法師)が宗旨を禅宗に改めると「関南第一禅林」として栄え、多くの高名な僧を輩出した。 永仁2年(1298年)示寂。その後、国師号を賜り、興国元年(1340年)に後村上天皇から「興国寺」の名を賜った。 天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐により堂塔の大半を失うも、関ヶ原の戦いの後に和歌山藩主となった浅野家、次いで紀州徳川家の庇護を受けて再建された。 平成5年(2003年)3月、法燈国師坐像・法燈国師像・誓度院規式(いずれも鎌倉時代)は国指定重要文化財に指定されている。 境内 説明板 より |
興国寺 中門 |
興国寺 本堂 紀州金山寺味噌の由来については諸説ありますが、なかでも有力とされているのが和歌山県由良町にある興国寺へ伝わったとされるものです。 鎌倉時代 建長元年(1249年)に宋(今の中国)に渡った法燈国師が「径山寺味噌」を日本に持ち帰り製法を伝えました。 法燈国師は由良町の「興国寺」を建立した僧、覚心のことです。その後、交通の便も良く、また水質が味噌醤油の製造に適していたという湯浅町やその他の地域に伝えられ、以来親しまれてきたとされています。 また、和歌山県・高野山真言宗の開祖、空海(弘法大師)が、遣唐使として入唐・勉学の折、(835年11月長安入り)唐の金山寺から持ち帰り、高野山開創後、大勢の修行僧を養う「僧坊食」として用い、その後修行僧が各地に広めたとされる説があります。 |
興国寺 庫院 |
興国寺 檣楼 |
衣奈トンネルの脇に立つ「徳本上人名号碑」 この「南無阿弥陀佛」の碑は日高町が生んだ浄土宗の名僧・行者で全国的にも高名であった徳本上人の字とされています。 この名号碑は文政元年(1818年)12月の建立で、現在は興国寺から衣奈へ向かう道の途中にありますが、もとはもう少し山頂の旧道の辺りにあったものを数十年前に移動したという経緯があります。 名号碑は上人の布教した全国各地に、徳本上人を慕う人々によって建立されました。峠や休憩所がある道端によく祀られ、旅の安全を祈ったといわれています。町内にもう一基、畑老人憩いの家横に祀られています。 説明板 より |
衣奈トンネル 延長484m 2015年10月 完成 |
衣奈トンネル出口からの眺め |
紀伊水道に浮かぶ島々 |
JR「広川ビーチ」駅は改修中。 |
福蔵寺 山門 |
福蔵寺 檣楼 |
深専寺 山門 |
深専寺 本堂 |
深専寺 観音堂 |
湯浅町・北町通り |
栖原海岸 |
新田坂トンネル |
簑田薬師 |
稱念寺 山門 和歌山県有田郡湯浅町田55 |
稱念寺 本堂 |
須佐神社 和歌山県有田市千田1641 |
有田川を渡っています。 |
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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ソメイヨシノは8分咲きぐらいで綺麗に咲き誇っていた。明日にも満開宣言が出るか? |
亀池公園 和歌山県海南市阪井452 江戸時代(1710年)に灌漑用池として作られた周囲約4kmの県下最大級のため池。亀池は1710年、井沢弥惣兵衛によって灌漑用池として作られたため池。昭和43年に紀州徳川家の別邸(双青閣)が池の中島にある移築されました。 from net |
亀池公園のソメイヨシノ ここの桜はまだチラホラ咲き状態。 |
貴志川沿いの谷を登っていった。 |
鞆淵八幡神社 和歌山県紀の川市中鞆淵58番地 祭神は応神天皇・仲哀天皇・姫大神。旧県社。例祭は毎年10月15日に実施される。 元は石清水八幡宮の荘園である鞆淵荘の産土神を祀るために同八幡宮の別院として平安時代に創建されたと推定されている。 安貞2年(1228年)に石清水八幡宮から神輿が送られ、その後もこの時の仕様のものが製作・使用された。現存の神輿は平安時代末〜鎌倉時代初期のもので国宝に指定されている。また、三間社流造の本殿(寛正3年(1462年)の棟札を有する)および大日堂は重要文化財である。 from Wikipedia |
かつらぎ町に入った。 |
花坂不動尊 和歌山県伊都郡高野町大字花坂602 参詣道の道中安全の守護を願い、表高野に位置する花坂の地が不動尊建立に最適な浄地であるとの霊示を受け、花坂不動尊を建立開眼した。霊験あらたかな不動明王像を彫刻し、本堂に本尊として安置。境内に日本有数の大きさの不動明王立像と、黄金の大日如来像が建立したと云う。 from net |
町石道との出合。 2014.10.1に高野山 町石道をたどって、九度山駅〜慈尊院〜大塔〜奥の院まで歩いた時にも通った地点。 |
町石 三十七 1町(約109m)毎に建てられている町石(ちょういし)。麓から登って行くと段々と数が減っていく。ここは37番なので、あと37町(37×109m=約4000m)で大門ということになる。 |
天狗嶽遥拝所 |
大門 |
高野山大師教会 高野山開創1100年記念として1925年(大正14年)に建てられ、高野山真言宗の布教等の総本部です。本尊は弘法大師、脇仏として愛染明王と不動明王が祀られています。日帰り修行体験などもあり写経の他、大講堂の奥の授戒堂にて阿闍梨さまより菩薩十善戒を授かることが出来ます。 from NET |
6番 御衣寺宝亀院 | 宝亀院は、弘法大師空海のひらいた真言宗の本山たる高野山に存する一寺院であり、重要文化財である十一面観音像、弁才天像(いずれも弘法大師作)をはじめ古文化財を数多く蔵しているが、やはりお衣替の行事にその特徴がある。 空海没後86年目のある夜に、空海が醍醐天皇の夢枕に立ち「高野山 むすぶ庵に 袖朽ちて 苔の下にぞ 有明の月」の一首を詠じたという。その時の姿が、頭髪もひげものび、袈裟や衣は汚れて所々破れていたという。 天皇はこれを受けて、空海に弘法大師の大師号を贈り、毎年弘法大師の命日である3月21日に新しい法衣を、廟所へ供養することになった。このために、醍醐天皇の勅願により観賢僧正が開基されたのが、この宝亀院である。 |
御詠歌 高野山 峯にかがやく ともしびは 万代(よろずよ)きえぬ 光なりけり |
山門 |
納経所 |
弘法大師御衣替霊場 毎年3月21日、新しい衣を染め大師御廟前に御供えするが、この堂内が衣を染める場所になっているようである。 |
弘法大師御衣替霊場内の お堂 |
弘法大師御衣替霊場に連なる建物。本堂だと思ったがそうではないらしい。 |
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