新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。


5番 天音山道成寺をめざして



2018/03/10   JR阪和線・熊取駅⇒南海電鉄・岬公園駅   22.3km


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泉佐野市公園墓地の慰霊塔。      関空のもたらした巨額の補助金の一部で出来た広大な公園
泉佐野市公園墓地
田圃の中から見える「りんくうゲートタワービル」。高さ256.1mはあべのハルカスが出来るまでは西日本一の高さを誇った。今は借り手のない空室だらけ。
樫井古戦場近くの樫井川を渡っています。
淡輪海水浴場から北側に広がる関空、りんくうタウンを望む。
淡輪海水浴場から南側に広がるみさき公園を望む。
淡輪ヨットハーバー辺りから南を望む。煙突は関西電力多奈川火力発電所。
淡輪漁港の堤防から漁港内を望む。リゾートマンションも見える。
淡輪漁港防波堤から大阪湾を望む。雲ひとつ無く、波もない静かな海が横たわる。   



2018/4/8   南海電鉄・みさき公園駅⇒ 海南駅   40.1km

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南海電車・深日港駅
多奈川火力発電所
岬町海釣り公園・とっとパーク小島  
関西国際空港埋め立て土砂の積み出し桟橋を有効利用した海釣り公園です。
岬町海釣り公園・とっとパーク小島
山の上に「休暇村紀州加太」が見える。
城ヶ崎
この地形は砂岩と頁岩(けつがん・泥の堆積岩)が交互に積み重なった岩が地殻変動により傾き、薄く割れやすい頁岩の部分が波に削られ、固い砂岩が突出してできたとされています。
                                説明板から
城ヶ島から紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島。友ヶ島という島はなく地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称。
加太港。友ヶ島に向かう観光フェリーの発着場。
淡嶋神社   本殿      和歌山市加太116
淡嶋神社
本殿の拝殿横に置かれた日本人形。境内一円に奉納された人形の数々。その数2万体とか?。
淡嶋神社  針塚。
淡嶋神社  
淡嶋神社 紀文稲荷社
行者堂への急な石段・参道
行者堂 本堂
紀の川を渡っています。


2018/4/8   海南駅⇒箕島寺   16.2km


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海南火力発電所2本の煙突、リゾートマンション群。
新日鉄住金・和歌山製鉄所や関西電力・海南火力発電所の入る工場地帯とマリーナシティーをつなぐ橋が2つのもののコントラストとなって映える。


   箕島駅⇒御坊駅    には

     6番 御衣寺 宝亀院
をめざしての中の

2018/1/7 紀伊由良駅⇒箕島駅
2018/11/18 紀伊内原駅⇒紀伊由良駅
2017/8/21 紀伊由良駅⇒御坊駅

                          を流用しました    



2017/08/21   御坊駅⇒道成寺 


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参道にあった石塔。寂しげな参道には参拝者は一人もいなかった。



5番 天音山道成寺 道成寺と言えば、何と言っても安珍(あんちん)と清姫(きよひめ)の伝説が知られている。また、それにもとづく能楽や歌舞伎などの古典芸能の寺、そして絵巻をひろげながらこの伝説を語る「絵とき説法」の寺でもある。
絵とき説法とは、中国から伝わった説法の形式で、掛軸や絵巻を見せながら仏法の教えを分かりやすく説く布教方法である。道成寺では、重要文化財の『道成寺縁起』の写本を広げながら、一日平均7〜8回、年間3000回以上、十数万人の参拝者に絵とき説法を聞いていただいている。 
                       〜 HP より 〜

御詠歌       紀の国や 峰より明けて 日高川 てらすは法の 道成(みちなり)の寺
宗派         天台宗
開基         義淵僧正、文武天皇勅願
ご本尊       千手観世音菩薩
創建         大宝元年(701年)
所在地       和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738



仁王門   
昔能楽「道成寺」の乱拍子を生んだとされる六十二段の石段と仁王門。重要文化財創建時の中門にあたる場所に建っており、中門の左右には複廊式の回廊が取り付けられていたことが確認されています。平成5年に塗り替えたので真新しく見えます。              〜 HP  〜
 仁王門   
仁王門    
掲げてある看板には「閻魔の廳(えんまのちょう)」 (十三堂)とある「えんま堂」。
この「えんま堂」は宝永4年(1707年)に建立された建物で、見るからに古く、何となく不気味な雰囲気を醸し出している。
二代目鐘楼跡
道成寺の初代の釣鐘と檣楼は、平安時代に安珍と清姫の事件で焼けたと伝えられています。それから400年後の南北朝時代に二代目の釣鐘が作られ、この場所に檣楼が再建されました。2代目の鐘は戦国時代に持ち去られ、今は京都市岩倉の妙満寺にあります。  
初代の鐘は「道成寺縁起」という絵巻で毎日絵解きされ、二代目の鐘は「道成寺物」の舞台でその名を轟かせています。道成寺の二つの鐘は、耳ではなく、心に響く鐘となりましrた。              〜 案内板  〜
三重塔  
この塔の垂木は、なぜか一階と二階が平行垂木、三階だけ扇垂木になっています。
大黒柱に使う良材が見つからず、隣町の妙見神社の御神木のヒノキを切っていただき、心柱に使いました。文字通り神仏和合のお導きを示す塔となっています。         〜 案内板  〜
本堂   
 大宝元年(701年)頃に創建された講堂を本堂として約650年間使われていたようであるが、承平12年(1357年)に本堂が建立されたといわれているが、現存の建物は天授4年(1378年)に再建されたものとの説もある。その後、老朽化が進んだため、昭和63年から平成3年にかけて解体修理が行われている。〜 案内板  〜
護摩堂  
弘化4年(1848年)の建築といわれており、意匠を凝らした幕末期の意欲作として評価されているようである。
 〜 案内板  〜
 念仏堂 
 初代の「念仏堂」は宝永6年(1709年)に建立されたが、老朽化のために大正4年(1915年)に解体された。その後、70年以上経過し、念仏堂の再建に取り組み、2代目の「念仏堂」が平成17年に完成している。この「念仏堂」の内部には納骨堂も設けられている。
 〜 案内板  〜
念仏堂に納められている「五劫思惟(ごごうしい)阿弥陀如来」
若い頃の阿弥陀如来様は、すべての人が救われる道を求めて瞑想をお続けになりました。その間に髪が伸び放題になったお姿を表しています。少年のようなお顔で、手を衣の中に納めておられるのも同じ理由です。
                                〜 案内板  〜
 宝物殿   
縁起堂  
ここに納経所がある。
絵解き説法もここで行われる? と思うが、時間もかかるし、一人ではとても申し込む気にならなかった。
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