御霊神社 | この本社を御霊神社と云うのは明智光秀公を祀ったことに由来しています。光秀公は織田信長公を倒したことから逆臣の名を史上に遺していますが、彼は丹波に於て諸豪が所々に割拠していたものを平定しその拠点として福知山城を修造し、 由良川に長い堤防を構築して其流路を転じ、氾濫を防ぎ、ここに城下町を建築するに当たっては地子を命ずるなど、種々善政を施したので郷民は悦服しました。生前人々に慕われて居たものが冤罪(エンザイ)を蒙った様な場合に、その御霊を慰めようとした御霊社が各地にあり、本社もその一例であります。 |
鳥居 |
拝殿 |
本殿 |
堤防神社 福知山は豊かな由良川の流れに多大な恩恵を受けてまいりましたが、その由良川は時として大洪水となり、流域の人々は大きな災害を受けることが度々でした。 近年着々と進められる治水事業の成果により水禍の遠ざかりつつあることは誠に喜ばしいことであります。 堤防愛護会では、長年にわたり治水事業の進展と堤防の愛護と感謝を訴え、毎年8月15日に「堤防まつり」を行い、神事と神興の市内巡行をおこなっております。 昭和59年には、こうした活動のよりどころとして、「堤防神社」を建立しました。多くの市民の皆様方のご理解による浄財をもって竣工を見たものであります。過去の災害の記憶も薄れがちな昨今、水害防止の拠点としての神社のご加護により再び水禍の来ることのない福知山であることを祈念するものであります。 福知山堤防愛護会 案内説明板から転載 |
石塔 免税を決めて 光秀名を残し |
本能寺溝は幾尺なるぞ 吾大事を就(なす)は今夕に在り 茭粽手に在り茭を併せて食う 四 |
忠魂碑 |
筆塚 |
叶石 叶石発祥縁起 この石は礫岩で俗称を子持ち石と言い神縁により当社に奉納せられた霊石である。古代この石を創り給いし神秘に因み知恵の秀れし思兼神、火力無双の手力男命の二柱神をお鎮めし境内の一隅に悲願成就神として お祀り申し上げたがその霊験を讃え誰言うとなく叶石と唱えるに至る近年厳しき世に処するため、また大事を計る時各自の努力の上に神々の加護を受け道を開かんと受験合格・必勝祈願・縁談・諸災難除等の祈願参りの日に増しければ改めて此処を選び遷座申し上げ神徳を広く世に宣べ伝える次第なり。 |
境内社 恵比寿神社 |
福知山城 | 福知山城は天正年間明智光秀の縄張りと伝えられ慶長年間にいたり近世城郭として完成されました。明治の廃城後わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣、続櫓、小天守閣が再建されました。
城郭研究の権威東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の復元設計による二重櫓に入母屋の大屋根をかけその上に小望楼をのせた姿は初期天守閣の様式をよく表わしています。 構造 鉄筋コンクリート造 三層四階建 延床面積 1063平方メートル 総高 20.2メートル 竣工 昭和61年11月9日 |
大天守閣 |
小天守閣と続櫓 |
大天守閣と小天守閣 大天守を支える石垣に斜めの線が見えます。右側が光秀築城時の物。左側は江戸時代の物だそうです。 |
福知山城石垣の転用石 天守閣の石垣は「野面積み」「乱石積み」などと呼ばれる技法で未加工の自然石が積み上げれています。また、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)をはじめ、石仏、石臼、灯籠などの石造物が大量に石材として利用され、これらは転用石と呼ばれています。 転用石の大量の使用例は、福知山城や大和郡山城に見られます。再建時の発掘調査で500個あまりが確認されています。 なかに「延文四年」(1359)銘の五輪塔地輪(転用石の年号銘では最古)や「天文十年」銘の五輪塔地輪(天守閣地階の階段石に転用)があります。また、宝篋印塔の塔身、基礎、基壇と、この地域の優れた石造品をうかがい知ることができます。 説明板から転載 |
天守閣の鯱瓦 高さ150cm 基部たて80cm よこ45cm この鯱瓦は福知山市と旧大江町との合併を記念して、「日本鬼師の会」が福知山城の天守閣の鯱瓦を原寸大復元したものです。同会は平成3年に伝統的鬼瓦の保存と技術の継承を目的として設立されました。会員は国内各地110余名からなる鬼瓦制作集団です。 平成18年9月2日から10月1日まで30日間にわたり、福知山市大江町にある「大江山鬼瓦工房」に、のべ91名の鬼師が参集し、土と格闘し互いに技術の交流をはかりながら完成した作品です。 伝統的鬼瓦の技術継承と、瓦文化の普及のため製作された鯱瓦です。 より多くのみなさまに身近に触れてもらえるよう、この場所に設置しました。鬼師の卓越した技術を御覧ください。 説明板から転載 |
朝暉神社(あさひじんじゃ) |
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