城崎温泉外湯他 |
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地蔵湯 江戸時代、村民多数の入浴が見られ里人の外湯として親しまれていた。 この湯の泉源から地蔵尊が出たのでこの名があり、此来庭内に地蔵尊をまつっている。 外観は和風とうろう、六角形の広い窓は玄武洞をイメージしており、外湯中一番モダンな建物である。 「雪の城崎 あの子の髪に 溶ける淡雪 わがこころ 白鳥省吾」 説明板から |
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浴衣に下駄履いて、この川沿いの外湯めぐり。外人もチラホラ。不思議に中国人はいなかった。 |
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柳湯 中国の名勝西湖から移植した柳の木の下から湧き出たというのでこの名がある、以前はこの裏側にあり、外傷やはれものに著効があったといわれる。 「 城崎のいでゆのまちの 秋まひる 青くして散る 柳はらはら 富田砕花 」 説明板から |
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砕花の歌碑 |
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一の湯 江戸中期温泉医学の創始者後藤艮山の高弟香川修徳がその著「薬選」の中で当時新湯といったこの湯を、天下一と推賞したことから名づけられた。 横の小庭の「海内第一泉」の碑は近代温泉学の権威、藤浪博士の書である。 桃山様式の歌舞伎座を思わせる建物で町の中央に位し、名実共に城崎温泉の象徴といってよい。 「ひと夜のみねて 城崎の湯の香にも 清くほのかに染む心かな 与謝野 寛 」 「日没を円山川に見てもなほ 夜明けめきたり 城崎くれば 与謝野 晶子 」 説明板から |
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まんだら湯 養老元年(717年)温泉寺開祖道智上人の曼陀羅一千日祈願によって湧き出たのでこの名がある。 その後八百年を経た頃、にわかに沸きあがって熱湯となったが、折よく来あわせた京都の僧日真上人が曼陀羅を書いて泉底に沈め、修法の結果数日にして適温に復したという。 前庭の碑はこの由来を書いたものである。 屋根は仏縁にちなんで御堂を模し、入口は唐破風、山すその緑に包まれて清楚な趣をもっている。 「曼荼羅湯の名さえ かしこしありがたき 仏の慈悲に 浴むとおもへば 吉井勇」 説明板から |
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さとの湯 城崎らしさに現代性をプラスして誕生したとされる「さとの湯」。 エキゾティックな雰囲気が漂いハーブの香りや滝の音に満ちた不思議な空間。スーパー銭湯みたいで城崎のイメージと合わないとも言われるのでは?。 |
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番外 養父市の「道の駅:ようか但馬蔵」 足湯の看板が気に入った。 |
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番外 養父市の「道の駅:ようか但馬蔵」 |
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