伊弉諾神社(いざなぎ) 淡路市多賀740 | 伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神 が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された神宅の旧跡と伝えられてゐます。ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られました。これを創祀の起源とする最古の神社が伊弉諾神宮です。 |
鳥居 |
拝殿 |
本殿 高さ1.0mの基壇上に建ち、身舎(もや)正面に向拝を設け、軒は二軒繁垂木(しげたるき)、屋根は入母屋造りに向拝屋根を葺き下ろした形状をしている。 建立後は、度々修理が行われたが、昭和30年(1955)には解体修理、平成14年から同15年にかけて屋根葺き替え及び塗装工事が行われ、現地調査の際に判明した寛文頃(1661年〜1672年)の塗装に復元がなされた。 三木市HPより |
昔は祭の時などに馬を連れてきて「馬駆け」という行事が行われていたそうですが、本物の馬を連れて来られなくなったことで昭和4年(1929年)に馬の像が建てられた。 |
姑射山 東光寺 (こやさん とうこうじ) 三木市吉川町福吉261 |
宗派 高野山真言宗 開祖 行基 ご本尊 子安地蔵尊 創建 神亀年間(724〜728年) 奈良時代の聖武天皇の時代 |
山門 |
鐘楼 銅鐘 口径 65.2cm 高さ 114.1cm 竜頭高 21.5cm 本鐘は播州・東光寺の鐘として、慶長6年(1601)3月26日に奉鋳されました。作風については、当時の鋳物師集団「姫路野里の鋳物師」の特徴が見られ、製作者として「平末次」の記銘があります。鐘の保存状態も良く、当時の吉川の歴史を知る上で貴重な資料となっています。 説明板より |
本堂 桁行 5間 梁間 5間 一重、寄棟造、本瓦葺 本堂は永正14年(1517)の墨書がある蟇股(かえるまた)より、室町時代中期から末期頃の建立である。構造は和様を中心とした折衷形式で蟇股木鼻、虹梁など特徴が見られ、鶴林寺の技法をさらな発展させたものである。 室町時代中期頃の折衷形式を考える上で貴重な資料である。 |
手水舎 |
多宝塔 室町時代に建造 大正初期の大修理に下層の一部、柱、縁廻りを補修し、上層の屋根を仮葺した。 軸部および斗拱(ときょう)部、相輪などの主要部分や建具、内部須弥壇(しゅやだん)等は、建立当初のままである。 特に、内部須弥壇の格狭間(こうぎま)の刳型(くりがた)や絵様彫刻は当時の特徴を表した素晴らしいものである。 県下における多宝塔の貴重な資料である。 説明板から |
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