景福寺 猪名川町杉生字栖ノ子15 | 兵庫県川辺郡猪名川町にある 景福寺は、曹洞宗の禅寺としてその歴史は最も古く今をさる六百数十年前に遡ります。 景福寺の開祖の通幻禅師から数えて、現在は四十七代目に当たり「通幻さまの景福寺」と伝えられ、世に景福寺の名は広く知られています。その通幻禅師の生い立ちは、墓中からの誕生という、まさに壮絶な力がみなぎる「生と死」 のドラマを観る思いであります。どうぞ、「近代曹洞宗発展の基礎を築かれた偉大な傑僧」といわれる通幻禅師の境涯に近づき、その恩恵とご加護に景福寺をお訪ね頂ければ幸いに存じます。 from HP |
山門 |
本堂 |
鐘楼堂 |
ペット納骨供養 聖観世音菩薩 |
ペット地蔵尊 |
洗心閣 |
子育地蔵尊 |
金山彦神社 川辺郡猪名川町 | 大同2(807)年創建との社伝を持つ金山彦神社は、その中心として銀山の栄枯盛衰を見守ってきました。山の神大山祇命と金山彦命、金山比売命が祭神です。金山彦命と金山比売命は伊佐那岐・伊佐奈美両神の子どもで、鉱山の守り神、のち金属関係すべての守護神となり、奈良の吉野山の総地主神でもあり、各地に神社があります。 |
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神社の鳥居 |
山神社と掲げられています。 山の神大山祇命と金山彦命、金山比売命を祀っています。 |
割拝殿(わりはいでん) 中央が土間となっていて、通り抜け可能な構造で左右対称でないものが多い。 |
本殿のように見えるがこれは覆屋。中に本殿は格納され保護されている。 |
本殿。 覆屋の格子の間からカメラを差し込んで撮ってみました。 |
多田銀銅山 川辺郡猪名川町 | 多田銀銅山は、室町時代より採掘され秀吉の時代には、大阪城築城の台所(財源)となって、豊臣家をたいそう潤した。秀吉は秀頼に財宝を残そうとして21か所に財宝を埋めた。その額なんと4億3000万両、今の金額にするとなんと200兆円! |
台所間歩 間歩(まぶ)とは、鉱山などにおいて採掘のため掘られた穴のことです。 秀吉時代に開坑された間歩で、銀・銅が豊富に採掘され、大坂城の台所(財政)を賄うほどだったことから「台所間歩」という名がついたということです。 案内説明板から転載 |
大露頭 鉱脈が地表に露出している部分 |
雲覚寺 曹洞宗 川辺郡猪名川町上野字北畑 | 享保5(1720)年、明仙和尚が開いた庵を始めとし、安永年間(1772から1780)に素盞鳴神社の宮寺として現在地に移転、天保5(1834)年には池田の大広寺住職を開山として現在の寺院となりました。 本尊は十一面観音です。 |
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山門 |
本堂 |
鐘楼 |
広根 素盞嗚神社 川辺郡猪名川町 |
創建は不詳だが、「中御門天皇」の御宇、正徳3年(1713)再興するとある。 その後、明治10年・昭和51年に再々修復する。慶長2年(1597)、元禄5年(1692)の記録にあるので、その前から御鎮座していると考えられる。明治6年村社に列格する。同年、銀山川を隔てて南側にあった秋葉神社を移し末社とする。 秋祭りには、太鼓の巡行をする。 (説明板から) ここも、神社と寺が隣接しており、神仏分離令で分けられたものではないか? |
広根素盞嗚神社 鳥居 |
広根素盞嗚神社 拝殿 |
広根素盞嗚神社 本殿 |
天沢寺(てんたくじ) 浄土宗 川辺郡猪名川町木津字垣内8 |
天平二年(730年)東大寺の大仏建立などにつくした行基が楊津院建立したと伝えられています。楊津院は、行基が近畿一円に建立したとされる四十九院の一つであり、その後身が天澤寺と伝えられています。 |
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山門は無く、石塔のみ |
本堂 |
鐘楼 |
春日型 石造り灯籠 兵庫県指定重要文化財 室町初期の1403年に造立された 総高 1.86m 反花座付きの基礎の上に方形の竿を立て、中台は側面を二区に分け、区内に花菱がある。叉、その下に蓮座が作られている。火袋は側面に方形の火口と二面に円窓があけてある むくりのある屋蓋、軽快な軒反りなど時代の特色が見られ、県下でもまれに見る良く整った例です 案内説明板から転載 |
歌碑 |
八坂神社 川辺郡猪名川町 万善29 | 天沢寺の隣接しており、神仏分離令で分けられたものではないか? |
鳥居 |
八坂神社への参道石段 |
八坂神社 拝殿 |
天乳寺 浄土宗 川辺郡猪名川町 万善29 | 寛永3年(1626)、相誉(そうよ)上人によって開かれた浄土宗の寺。本尊は阿弥陀如来。 如意輪観音を安置し,お乳がよく出るご利益のある”乳の観音様”と呼ばれた。元禄年間には転入寺と表したが、現在の天乳寺と呼ばれるゆえんである。 木喰仏は、「自刻像」と「勢至菩薩」「観音菩薩」の3体が遺されている。 |
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本堂 |
本堂 |
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