新西国霊場とは 大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。 近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
客番 叡福寺から 8番 南向山西方院をめざして
2018/5/20 叡福寺 ⇒ 西方院 0 km
公道を一本隔てているだけ。
8番 南向山西方院 | この西方院は、日本で最初に創建された尼寺であったと言われている。 その昔、蘇我の大臣の娘たちに、日益、月益、玉照の三姫があった。三人とも聖徳太子の乳母で、太子の死を知るや髪を剃り、太子御廟の近くに太子菩提のための寺を建てた。これが現在の西方院で、当時は、法楽寺といい、後に荒廃したものを蓮誉寿正尼が中興し、その時から、西方院と呼ぶようになったと言われている。 |
御詠歌 むらさきに 雲のにほひて 観世音 在(おわ)しまします 西方の空 |
聖徳太子御乳母三尼公御廟所西方院と石塔には書いてあった。 |
細い参道が続く。 |
山門 |
本堂 |
鐘棲堂 |
観音堂 |
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