新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、 1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。


4番 龍谷山水間寺 から 7番 天野山金剛寺をめざして



2017/08/17   水間寺⇒金剛寺   16.2 km


行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

峠を越えて、河内長野市に入った。




7番 天野山金剛寺 金剛寺は、僧行基が聖武天皇の勅命によって開き、のち弘法大師密教修練の霊域となる。そののち、四百年ほどの間に、寺は衰微してしまったが、平安末期、後白河法皇と皇妹八條女院の帰依を受け、阿観僧正が復興し、 明治の初めまで女人禁制であった高野山に対し、女人の参拝を許したので、女人高野と呼ばれる様になった。
金剛寺は、楼門をくぐり石段を上がると、右に金堂、左に多宝塔、正面をさらに登ったところに五佛堂があり、新西国霊場本尊 千手観音菩薩像を奉安する。右側に、御影堂および後村上天皇の観月亭がある。どっしりと構えた金堂には、運慶の作と 伝えられる御本尊大日如来、脇士の不動明王、隆三世明王が祀られている。金堂の右手後方に鐘楼があり、そばの門をぬけると、南朝安行所の摩尼院がある。これらの建物・仏像は、いずれも重要文化財に指定されている。
南北朝時代に、南朝・北朝双方の行在所となった金剛寺は、その歴史的な経緯から、質量ともに豊富な古文書を所蔵し、特に南北朝および楠木氏に関する文献等については、他に比類が無い。           ~HP~

御詠歌       はれわたる 天野の宮の 金剛寺 古(ふり)にし蹟(あと)も 畏(かしこ)かりけり
宗派         真言宗御室派大本山
開基         行基菩薩
ご本尊        大日如来
創建         天平年間(729年)
所在地       大阪府河内長野市天野町996



南大門
楼門
食堂 (天野殿)
後村上天皇が1354年から1359年に至るまで、正庁とされた建物。鎌倉時代の創建で、一山大衆の食事を行ったり、研学したりするための道場。
鐘楼    重要文化財
多宝塔
本堂
五仏堂
金堂が修理中なので、「仮本堂」の看板が見えます。
五仏堂から廊下でつながる薬師堂
御影堂
法具蔵
護摩堂


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