新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。


29番 酒見寺から 30番 七種山金剛城寺をめざして



2017/9/19   酒見寺 ⇒ 北条町駅   0.8 km


行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

酒見寺横にある住吉神社。




2017/9/21   北条町駅 ⇒ 金剛城寺  14.1 km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

熊野神社             福崎町西田原1539
拝殿と神殿をつなぐ廊下の途中に入口がある。
熊野神社
大鳥居の○○熊野神社という名前のうえ2文字を消した跡がある。何と書いてあったんだろう?。
辻川山公園 :            福崎町西田原
柳田國男さんの出身地であり、著書「故郷70年」に出てくるカッパが有名ですが、それにちなんで、幾体もの妖怪が並んでいた。これは第2回 全国妖怪造形コンテストの最優秀作品賞の妖怪。
柳田國男の生家。           辻川山公園: 福崎町西田原
組合せ式家形石棺(山崎群集墳内出土)           辻川山公園  :福崎町西田原
家形石棺としては小型で簡略化した形をしており、古墳時代でも終りに近い頃のもの。加西市高室に産する「高室石」を加工したもので、遺存状況の良好な部分では架構の際のノミ状の工具の痕跡が良く残っている。
鈴の森神社 薬師堂                       :福崎町西田原
本尊 薬師如来    お薬師さんの呼び名で村人に親しまれ、無病息災のお薬師さんとしてお詣りし、お陰を貰われた長寿の観音講の方々で祭礼が行われている。
鈴の森神社   拝殿                       :福崎町西田原
佛性山 西正寺 : 浄土真宗本願寺派           福崎町馬田   
佛性山 西正寺 : 浄土真宗本願寺派           福崎町馬田
山門と鐘楼を兼ねた造りが珍しい。頭でっかちな造りに思わず大丈夫かなーという印象を持った。




30番 七種山金剛城寺 金剛城寺は、推古天皇の時代、聖徳太子がこの地に来られ、霊厳の地であるからとのことで恵灌法師をして寺を建てさせ、国家安泰、庶民福利の祈願所とされたのが、その始まりである。高麗の人恵灌法師は、日本三論宗の開祖となられた人で、金剛城寺の堂塔伽藍が完成すると、法道仙人を招き開山式を催された。その後、弘法大師が来山、護摩秘法を伝えてより、金剛城寺は、真言宗の宗旨を奉ずるようになり、現在に至っている。

御詠歌       金剛の をしへの城の みめぐみの つゆ滋岡や 七ぐさのさと
宗派        高野山真言宗
開基         恵灌法師
ご本尊        十一面観世音菩薩
創建         597年
所在地       兵庫県神崎郡福崎町田口236




仁王門
鐘楼      
鐘を突かさない寺が多い中で、ここは納経所に入るのに呼び鈴代わりに鐘を突くようにと書いてあった。
右手奥に納経所がある。
本堂
阿弥陀堂
弁天堂
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