新西国霊場とは 大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。 近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
客番 浄土寺から 28番 五峰山光明寺をめざして
2017/9/14 浄土寺 ⇒ JR・社町駅 8.0 km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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共進牧場 |
ジャージ乳牛が見える。 |
加古川を越えています。 |
社町駅とドーム部分は「交流ふれあい館」 |
2017/9/19 JR社町駅⇒光明寺 4.8km
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石門 ここから駐車場まで随分離れていた。 |
駐車場からの石門を過ぎると急峻な参道が続くが最初に目にするのが、地蔵堂。つっかい棒が気になって遠巻きにした。 |
急峻な参道が延々と続く。参道沿いに塔頭がポツンポツンと点在。 |
参道に沿って4つの塔頭(たっちゅう)が並ぶ。京都の大徳寺には24の塔頭が並ぶとか。 塔頭の一つ:多聞院の山門 |
塔頭の一つ:多聞院の本堂 |
塔頭の一つ:多聞院の毘沙門堂 |
塔頭の一つ:遍照院の山門 |
塔頭の一つ:遍照院の本堂 |
塔頭の一つ:大慈院の山門 |
塔頭の一つ:大慈院 |
塔頭の一つ:大慈院 二重の塔 |
塔頭の一つ:花蔵院の山門 |
塔頭の一つ:花蔵院の本堂 光明寺に一番近い位置に建つが、一番寂れた感じを持ったが、・・・・ |
28番 五峰山光明寺 |
御詠歌 あや雲の 空になびきて 光明寺 仰ぐ五つの 峰は晴れたり |
仁王門 この仁王門は1693年に再建された建物の一部を使用して昭和56年5に殆んど完全に復元されたものである。また奉安の阿吽一対の仁王尊像もこのたび同時に修理をしたが再検当時の造顕のもので効験あらたかなり。当山伽藍の守護神である。 〜 説明板 〜 |
文殊堂 この堂は、1682年に再建されたもので、現存する当山の諸堂の中では最古のものである。破損甚大のため昭和57年屋根葺き替え修理をし、さらに正面には唐風向拝を新たに増築した。本尊は学徳成就進学祈願の智恵文殊菩薩である。 〜 説明板 〜 |
鎮守社 創建年代は不詳。昭和56年に屋根を葺き替え他一部を修理した。五峰山光明寺の守護神として熊野権現を勧請奉祀する。 〜 説明板 〜 |
常行堂 (阿弥陀堂) この堂は1701年から1702年にかけて再建されたものである。屋根葺き方形造り様式で広さは四間四面である。堂内宮殿には本尊阿弥陀如来(室町時代の作)と脇士として観音・勢至の二菩薩が安置してある。背面には当山に篤信のあった諸大名の霊碑をはじめ十万信徒の霊碑を奉祀する供養廻向の道場である。屋根の老朽がひどく昭和57年7月大修理を施した。 〜 説明板 〜 |
檣楼 |
本堂(金堂) この建物は1925年4月 武田五一博士の設計により鎌倉時代の設計様式をもって再建されたものである。屋根は鋼板葺きの入母屋造りで九間4面の広さ(270平方メートル)をもつ。内陣の宮殿には法道仙人の作と伝えられる本尊千手十一面観世音菩薩と脇士として不動明王と毘沙門天王の二尊像を奉安する。また脇壇には当山開祖 仙道仙人・聖徳太子・宗祖 弘法大師の各尊像も合わせて安置してある。外陣は畳敷きで一山の主なる法要はここにおいて厳修される。 〜 説明板 〜 |
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