新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。


満願寺から26番 大谷山大谿寺山伽耶院をめざして



2017/12/1   満願寺 ⇒ 三田市自宅   28.9 km


行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

紅葉で染まった山々を見ながら歩を進める。
google mapsでルートを設定していたら、太平洋クラブのゴルフ場に来てしまった。
 千刈ダムまで来れば後は何度も通った道で心強い。






2017/07/19   三田市自宅⇒淡河八幡宮   22.4km


行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

10:57 熊野神社      神戸市北区長尾町上津
  熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を歓請された神社のことで、全国に3000余あると言われる。その一つがここにあった。 
14:59  山陽自動車道と並行して暫く歩きます。
16:04 淡河・八幡神社   神戸市北区淡河町勝雄
 「御弓神事」と「御旅神事」が有名。
16:04 淡河・八幡神社




2017/8/4   淡河八幡⇒伽耶院     7.2km  

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

蓮の花が見頃。神戸市とは言うものの淡河は田舎そのもの。
この後、山陽自動車道のメンテナンス用の側道を歩きました。
三木ジャンクションを抜けるとだだっ広い所に出た。今は物流センターが一つあるのみだが、すぐに埋まってしまうだろう。
google map の経路案内にそって歩いていくと、通行止めの道を案内してきた。引き返すこともできなかったので、そのまま直進。蜘蛛の巣とイバラと虫とが待ち構えている道だった。
伽耶院の一部が見えてきた。



26番 大谷山大谿寺
  
伽耶院
伽耶院は山伏の寺である。江戸時代には天台系山伏を統括する四院家の一つに数えられ、その伝統は今も十月体育の日の採燈大護摩として伝えられて、当日の境内は近畿各地から馳せ参じた山伏で埋まる。

伽耶院の縁起によると、孝徳天皇の大化元年(645年)、法道仙人が仏教布教のためこの地に訪れたとき、この谷の奥より湧出する清水の中より御本尊の毘沙門天王像を得、帝に奏上すると、その場所にお堂を建て安置せよとの勅命があり、伽藍を建立したのが、伽耶院の始まりであると言う。                           〜 案内板 より 〜

御詠歌       播磨路や 伽耶のみ寺の 花の庭 てらすは法(のり)の 光なりけり
宗派         本山修験宗
開基         法道仙人 
ご本尊        毘沙門天
創建         大化元年(645年)
所在地       兵庫県三木市志染町大谷410



仁王門
建物は大正時代の再建であり、、花頭窓のみが前建築物の遺物である。     〜 案内板  〜
仁王門に安置されている尊像
行基菩薩作と伝えられる金剛力士であるが、天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を消失したと伝えられている。
納経所
中門
中門                    市指定文化財
屋根及び軒廻りは後世の修理の際、改変されているがそれ以外は当所の形式を残している。木組みの中および安置されている二天像には慶安の墨書きがあり、建立は江戸初期ではあるが側面の妻飾りは古い架構法である「二重紅梁蟆股式」が用いられた八脚門である。                    〜 案内板  〜
入山料    お一人につき草引き10本        洒落た看板である。    
本堂           重要文化財    伝慶15年(1610年)
 内陣と外陣とを格子戸と欄間で分けた典型的な密教寺院建築である。外陣入口には唐獅子と牡丹の欄間を飾り、宮殿と内陣の柱・長押には華麗な極彩色を施している。安置されている毘沙門天(重要文化財)は平安末期の優作である。 
                           〜 案内板  〜
多宝塔               重要文化財           正保4年(1647年)
小倉城主・源忠真の寄進によって建立され、弥勒菩薩を安置している。
初層は方形・平行垂木。二層は円形・扇垂木、その間に白塗りの亀腹を持ち、蟆股と連子窓は彩色されている。相輪を失っていたが昭和60年復元した。        〜 案内板  〜
臼稲荷
田に水を溜めるため水の出口に古い石臼を使っていた当地方で、ある干害の年、白衣の老人となった狐が村中の田の石臼を全て取り除き水を均等に配分した。これを恥じた村人が石臼をここに奉納したと伝えられている。社前の紅葉はどうしてか石臼を抱えている。                〜 案内板  〜
三坂社               重要文化財    伝慶15年(1610年)
三間社流(ながれ)造こけら葺の建築で、当山の鎮守三坂大明神を祀る。正面の虹梁(こうりょう)蟆股(かえるまた)組物彫刻および側面の懸魚(げぎょ)等は江戸初期の様式を示しており、建立は本堂とほぼ同時期と考えられる。
 〜 案内板  〜
開山堂           県指定文化財    明暦2年(1656ねん)
但馬城主京極右近高供の寄進により建立され、開山の法道仙人を祀る。堂内部の壁面には極彩色の飛天を描き、長押天井回りおよび須弥壇上の宮殿には何れも入念な彩色文様をほどこし、山内では最も華麗な堂である。明暦2年の墨書を持つ。        〜 案内板  〜
護摩道場
不動明王の智火で煩悩を焼きつくそうとする儀式が彩燈大護摩である。生桧葉を方形に積み上げ読経と共に点火する。毎年、体育の日にとり行われ、近畿各地の天台系山伏二百余名が参集する。前作法として山伏問答や法弓・剣の作法等が行われる。
              〜 案内板  〜
行者堂         市指定文化財      寛永7年(1631年)
土佐城主源忠義の寄進により建立され、屋根・軒回り・縁回りは後世の修理により改変されているが内部の厨子・脇仏壇等は寛永期のものである。役行者の尊像を安置し、何の飾りもないこもり堂としての性格を保っている。
 〜 案内板  〜
伽耶院の駐車場にある断層
柱状節理と呼ばれる神戸断層の特異な露岩であるが、露岩やや右寄りに縦に直線の断層が走り、その左右では岩層が約1m食い違い更に右側部分は大きく波打っている。かってこの付近を襲った大地震の跡である。断層がこのようにはっきりと見えるのは珍しい。
 〜 案内板  〜
戻る トップページへ 練習日誌へ 記録集へ Maranicへ ぶどう栽培日誌へ 掲示板へ Linkへ