新西国霊場とは 大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。 近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
11番 當麻寺から 20番 立木山寺をめざして
2018/3/15 當麻寺 ⇒JR王寺駅 10.2 km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
---|
片岡山・達磨寺 本堂 奈良県北葛城郡王寺町本町2-1 達磨寺は、片岡の地において聖徳太子が出会った達磨大師の化身である飢人を葬ったと伝承される塚を中心として建立された寺院です。 |
達磨寺 鐘楼 |
達磨寺 薬師石 目を閉じて近寄り、両手で抱けば病気が全癒する 説明板より |
2018/3/31 JR王寺駅 ⇒ 立木山寺 59.5 km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
---|
法隆寺 南大門 |
法隆寺 大湯屋 |
法隆寺 西大門に通じる道沿いの桜は今、満開。 |
法隆寺 西大門 |
法隆寺 三経院および西室 |
法隆寺 西円堂 |
法隆寺 満開の桜に彩られた五重塔 有料ゾーンの中にある五重塔は塀越しとなりました。\1500を払って拝観するほど、信心はない。 |
法隆寺 聖霊院 |
法隆寺 東室と妻室 |
法隆寺 東大門 |
大和川の支流・富雄川沿いの桜も満開。桜のベルトが延々と続いていました。 |
薬師寺 |
薬師寺 中門 |
薬師寺 金堂 |
薬師寺 西塔 |
唐招提寺 南大門 |
唐招提寺 金堂 |
秋篠川沿いのサイクリング道路の脇にも満開の桜が咲き誇っていた。 |
平城宮跡に再建された大極殿 |
平城宮跡に再建された大極殿 |
コナベ古墳 |
古墳群の間に設けられた航空自衛隊の幹部候補生学校。 防衛大学校、防衛医科大学校、一般大学卒業生、航空学生課程修了者および部内選抜者等で構成されています。1957年、山口県防府南吉から当奈良基地に移転し現在に至っています。 県工で受持ちの生徒を当時の航空学生として自衛隊防府基地に送り込んだが、今はどうしているやら?。 |
ウワナベ古墳 |
木津川の支流・玉川堤の桜 ちょうど「井手町桜まつり」が行われていた。 |
木津川の支流・玉川堤の桜 |
JR奈良線は単線。 |
20番 立木山寺 | 弘仁六年(815)、弘法大師が諸国を御修行中、瀬田川のほとりにおいでになりますと、この山に光を放つ霊木があるのにお目がとまり奇異に思っておられるところへ、白い雄鹿が現われ大師を背にのせて瀬田川を跳び渡り、霊木の御前に導き観世音に変げしました。 from net |
御詠歌 瀬田川の 霧も立木の 観世音 峰吹く風に 晴るる身のうさ |
瀬田川河畔の駐車場から続く参道。 |
急な階段が延々と続く。約800段と書かれていた看板の横には700段の別の看板が。白髪3000帖までの風呂敷を広げた表現ではないが、約650段と書かれていたHPが一番信用できそう。 でも、延々と続く石段に息が切れた。 |
石段横には歌碑と町石も所々にありました。5町まであるらしいが、確認できなかった。 それにしても、この石段どうやって造ったのだろう。ミルコン車が上がれるような道はなかったように思うが、・・・・。 |
本堂 |
手水舎 |
本堂 |
鐘楼 |
奥之院 |
鹿の背に乗る弘法大師。しめ縄が掛けられており神社のような雰囲気も。 |
![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |