新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

20番 立木山寺から 18番 延暦寺横川中堂をめざして



2018/3/31  立木山寺 ⇒ JR湖西線・唐崎駅  19.8 km

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立木山寺前の瀬田川の美しいせせらぎ。京都府に入ると宇治川に、さらに大阪府に入ると淀川へと名前を変えていきます。
石山港に係留されていた瀬田川・琵琶湖リバークルーズの「一番丸」。
石山港から瀬田の唐橋、近江大橋を経て琵琶湖まで遡り、ここ石山港までの遊覧船。
瀬田の唐橋付近の遊歩道。ボートの練習風景が楽しめる。30数年前には相生から此処まで生徒を乗せてきて、朝日レガッタに参加した。
石山寺前の桜。
石山寺には2016年の12月14日に訪れた。ここをクリック
石山寺横の朗澄大徳ゆかりの庭園。
約800年前の中興の祖 朗澄律師(   〜1209)は石山寺屈指の名僧で天資聡明の人であり、教学のほか
湖岸道路沿いの遊歩道を行く。
びわ湖大津プリンスホテル    地上133m、38階建て
大津港と観光客船

 

2018/4/16    JR湖西線・唐崎駅 ⇒延暦寺・東塔 7.6km

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坂本の六地蔵  穴田地蔵堂
本地蔵は、北国街道が滋賀から穴田へさしかかる曲がり角に位置したため「まわり地蔵」と呼ばれ、 また村の入口に安置されて病気や災難が入り込まないように守ってくださるので「延命地蔵」とも呼ばれている。            説明板から
高穴穂宮跡
第12代 景行天皇、第13代 成務天皇、第14代  仲哀天皇と三帝の都の跡が高六穂宮と称せられるものpである。景行天皇の御代3年、成務天皇の御代61年、、仲哀天皇のおられたのは半年にしかならない。穴田を中心に扇状台地を領し都を営まれるに好適地であったろうと思われる。
現在の高穴穂神社の社殿が内裏のあった跡だとか、またはその西の住宅の中がその跡だとか言われている。          説明板から
盛安寺 山門
盛安寺は穴太(あのう)の地にあり、井上靖の小説『星と祭り』に登場する木造十一面観音立像が安置されていることで知られています。 この宮殿は、伏見桃山城の遺材で建てられたといわれている建物で、長谷川派の極彩色障壁画が見事な上段の間と次の間に面して、庭園があります。
                                  from net
盛安寺 本堂
恵日院   延暦寺の子院の一つ。
慈眼堂
慈眼大師 南光坊天海大僧正の廟である。徳川家康・秀忠・家光の三代将軍に幕府の顧問として遇され元亀の兵火で全山焦土と化した比叡山の復興に尽力した。 寛永20年家光の命により建立された。慶安元年大師号の宣下をうける。                 説明板から
滋賀院門跡 山門
滋賀院門跡
滋賀院門跡前の市道( 参道 )
比叡山律院  山門前の八重桜
比叡山律院  本堂
比叡山律院    祖師堂
比叡山律院  護摩堂
惠光院 山門
惠光院 本堂
日吉大社 大鳥居
求法寺(ほうじ) 走井元三大師堂
日吉大社横に伸びる石段。比叡山へ登っていく入口です。
南善坊 五大堂
登山道を登りつめた所にある聖尊院堂(亀堂)近くの石垣
法然堂
法然上人得度御霊跡     上人が霊を得度した跡 


延暦寺 東塔


延暦寺東塔 大書院山門
山門から中へは入れなかったので、大書院自体の建物は見ることが出来なかった。

大書院
昭和3年(1928)に、昭和天皇の御大典記念と比叡山開創千百五十年の記念事業として、当時、煙草王として有名であった村井吉兵衛の東京赤坂山王台にあった京都大学名誉教授武田五一の設計になる邸宅を延暦寺の大書院として移築された。       from net
延暦寺東塔 文殊楼
延暦寺東塔 文殊楼 
楼内の登り階段は角度がきつい。70度近い。滑り止めの木材があったが、これがないと怖くて上がれない。下りられない。
延暦寺東塔 文殊楼付近の鐘楼
延暦寺東塔 大黒堂
延暦寺東塔 萬拝堂
延暦寺東塔 大講堂鐘楼
延暦寺東塔 大講堂
延暦寺東塔 戒壇院
延暦寺東塔 法華総持院・東塔
延暦寺東塔 法華総持院・阿弥陀堂
延暦寺東塔 法華総持院・阿弥陀堂と東塔
延暦寺東塔  法華総持院前の枝垂れ桜



2018/4/22    延暦寺・東塔 ⇒ 延暦寺 横川中堂 7.6km

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ケーブル八瀬の改札前に掲げられた書。
天台宗総本山・延暦寺は、2018年初にこの一年の心構えを示す「比叡山から発信する言葉」に、「憶和敬(おくわけい)」(和して敬うを憶(おも)う)を選び、8日に境内で開催された年賀式でお披露目した。心を穏やかにして慎み深く相手を敬う気持ちで過ごしてほしいとの願いを込めた。
                                京都新聞から
見えるのは京都・八瀬の辺りか?
鎮護国家と書かれた碑
ケーブル比叡駅からの登山道。
山王院堂           東塔から西塔に向かう分岐に位置する。
山王院堂は、詳しくは法華鎮護山王院といい、第六祖智証大師円珍の住房で、後唐院とか、千手観音を祀るので千手堂とか、千手院の名でも知られております。円珍座主の滅後100年、円珍派と慈覚大師円仁派>の学僧の間に紛争が起こり、円珍派は、ここから智証大師円珍の木像を背負って、大津の三井寺(園城寺)へ移住したと云われており、このお堂は、歴史上きわめて重要なお堂です。
                               説明板から
比叡山延暦寺西院手前の参道
延暦寺西院 浄土院
伝教大師の御廟所で、比叡山で最も清浄な聖域。822年入寂した大師は、この地に埋葬され御廟を守る僧を侍真と称し、12年間籠山の誓をたてて行に励み、今の世もお仕えしています。
                                   ビーフレットから
延暦寺西院 椿堂
昔、聖徳太子が比叡山に登られた時に使われた棒の杖をこの地に差して置かれたところ、その棒が芽を出して大きく育ったというのが名前の由来。御本尊には千手観音をまつります。
                                  ビーフレットから
延暦寺西院 円戒国師寿塔
延暦寺西院 常行堂
延暦寺西院 法華堂
延暦寺西院 にない堂
法華堂、常行堂という同じ形の二堂が渡り廊下でつながっており、俗に「弁慶のにない堂」と呼ばれます。法華と念仏が一体であると延暦寺の教えを建物で表しています。      ビーフレットから
延暦寺西院 釈迦堂
西塔の中心で正式には転法輪堂という。信長の比叡山焼打ち後、秀吉が園城寺の弥勒菩薩を移して手を加えたもので、山上では最も古い。本尊は伝教大師ご自作の釈迦牟尼如来立像で、堂の名前もこれに由来する。                   ビーフレットから
延暦寺西院 本覚院(ほんがくいん)と若山牧水
旅と酒の歌人、“若山牧水” は大正七年五月に登叡。この西塔 “本覚院” に一週間滞在し、選歌や原稿をつづりて山に遊ぶ。
 比叡山(ひえやま)の 古(ふ)りぬる寺の 木がくれの 庭の筧(かけひ)を 聞きつつ眠る   牧水
当時の “本覚院” は荒れ果て伊藤孝太郎という寺男が独り住む。 牧水と寺男は夜ごと杯を傾けてお互いの人生を語りあった。                    説明板から
奥比叡ドライブウェイ沿いの登山道は綺麗に整備してあった。ステップにはガス管が埋め込まれています。
奥比叡ドライブウェイ沿いの八重桜にはまだ花びらが、いま見頃。
玉体杉
ここは西塔から横川まで尾根伝いに通る峰道のほぼ中間の位置です。回峰行者はここで止まって、御所に向かい、玉体加持(天皇のご安泰をお祈りする)をします。この大きな杉の木を玉体杉といいます。自然に生えたのが残ったか、昔誰かが植えたのでしょうか。
横高山(767m)頂上
この山と水井山の間で横川中堂への分岐があったのだろうが、見落としそのまま通過し、水井山を過ぎてからの分岐から横川中堂に向かったのが大きな間違い。この道は一旦深い谷を下りてから横川中道のある峰を目指す道だった。しんどかっった。



18番 延暦寺横川中堂 比叡山 延暦寺は天台宗の総本山で、伝教大師最澄上人が延暦四年(785年)、山上に一乗止観院を建て、自ら刻まれた薬師如来のご宝前に三つの灯明をかかげ、祈られたときに始まったと言われている。この灯明は"不滅の灯明"として、今なお神秘的な輝きを伝えている。この比叡山 延暦寺は、東塔、西塔、横川と三つの地域に分かれており、新西国霊場の横川中堂は、この”三塔”の一番奥になる横川に建てられている。
        from net

御詠歌       千代かけて 世をば救ひの 鐘の音を 送り絶えせぬ 比叡の山風
宗派        天台宗総本山
開基        伝教大師(最澄)
ご本尊       聖観世音菩薩
創建        788年
所在地      滋賀県大津市阪本本町4225



根本如法塔
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