新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

19番 鞍馬寺から 16番 瑞応山千本釈迦堂大報恩寺をめざして



2018/5/9   鞍馬寺 ⇒ 大報恩寺   13.9km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。
叡山電鉄・鞍馬駅
左側が無人改札で、今は自動改札もなく駅員もいないので、ワンマン運転の運転手に切符を手渡し。
右側は待合室を兼ねた展示室。レトロな感じの駅舎は風情があって良いものだった。
叡山電鉄・鞍馬駅前の天狗モニュメント
由岐神社 御旅所
由岐神社は鞍馬寺の鎮守社である。鞍馬の火祭の際に山車が一時的に休憩する場所。
叡山電鉄線路そばの道を下っています。
叡山電鉄・貴船口駅近くの三叉路に立つ貴船神社の大鳥居。神社まではここから貴船川に沿ってまだ2キロメートルほど遡らなくてはならない。
梶取社:    貴船神社の大鳥居横に祭られています。
案内板には御祭神:宇賀魂命とあるが、ふるくからの言い伝えでは「梶取大神」だとか。貴船神社創建の伝説に出てくる「玉依姫命が乗った黄色い船」を巧みに操舵した神のことであり、それゆえ同社はいまも、航海安全や交通安全を願う人々の尊崇を集めている。   
鞍馬川(賀茂川)に沿っての旧道を下っていますが、二ノ瀬トンネルがバイパスとして出来ていました。
京都産業大学の体育館前を通っています。道を挟んで本学が広がっていました。
上賀茂神社 大鳥居
上賀茂神社 楽屋         1628年建替え   重要文化財
神仏習合時代の供僧万の用いたもの。一切経楽屋ともいう。
上賀茂神社 立砂と細殿
立砂(たてずな)
 盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので一種の神籬(ひもろぎ)即ち神様が降りられる憑代(よりしろ:依代)である。鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりである。
細殿(ほそどの)
 寛永5年(1628)造替 重要文化財。行幸の際及斎王の御著到殿。創建年代不詳。正暦5年(994)5月23日官符にその名始めて見ゆ。
上賀茂神社の境内末社: 橋本神社
上賀茂神社 桜門
2018年3月に修復工事が完了したばかり。朱色が眩しい。
上賀茂神社の中門    第42回式年遷宮の大きな看板が出ている。
式年遷宮
式年遷宮は、神社本殿の造営・修理にあたって、神体をこれまでとは異なる本殿に移すことを指す(式年=21年毎に、遷宮=神体を移す)。今回も、国宝に指定されている本殿(1863年建造)と権殿(同1863年)、重要文化財(建造群)に指定されている楼門(同1628年)などを修復する。
上賀茂神社の境内末社21の中でも第1摂社に定められている。   縁結びの社:片岡社
片岡社は片岡御子神社の別称で、加茂玉依比売命を祀っています。加茂玉依比売命は、上賀茂神社の御祭神「加茂別雷大神」の母君にあたる神様です。
縁結びと紫式部の絵馬。
紫式部も、恋を叶えるために通ったと伝わる社です。紫式部は、次のような和歌を詠んでいます。
「ほととぎす 声まつほどのは 片岡のもりのしづくに 立ちやぬれまし」
通釈は、「ホトトギスを待ちわびる間、片岡社の木の梢に立ち、 朝露の雫に濡れていようか。」です。ホトトギスが、恋人(将来の結婚相手)を意味しているようです。          説明板から引用
上賀茂神社 須波神社
上賀茂神社 土屋
往古より神主医科社司の著到殿。現今は祓所として用いる     1628年造替  重要文化財
上賀茂神社 外幣殿(げへいでん)
法皇、上皇等の御幸摂関賀茂詣での際の著到殿また競馬会神事、葵祭に使用する。また、馬場殿とも称する。           1628年造替  重要文化財
上賀茂神社を出て賀茂川を渡っています。
総神社天満宮
大徳寺 山門(三門)
連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられた。利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置したが、このため門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる。           from WIKI
大徳寺 勅使門
大徳寺  仏殿(本堂)
大徳寺 法堂(はっとう)
大徳寺の塔頭  興臨院山門
大徳寺の塔頭  興臨院本堂
大徳寺の塔頭  瑞峯院山門
大徳寺の塔頭  瑞峯院本堂
大徳寺の塔頭  三玄院山門
大徳寺の塔頭  真珠庵山門
大徳寺の塔頭  大仙院山門
大徳寺の塔頭  大仙院 本堂
大徳寺の塔頭  芳春院山門
大徳寺の塔頭  龍源院山門
大徳寺の塔頭  黄梅院山門
大徳寺の塔頭  黄梅院庭園
大徳寺の塔頭  黄梅院庭園
大徳寺  梶井門
建勲神社    明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社。
建勲神社 太平和敬神
建勲神社 拝殿
建勲神社  神門と本殿 
建勲神社 貴賓館
瑞雲院 山門        浄土宗     京都市上京区千本通上立売上る作庵町505
瑞雲院 本堂





16番
 
瑞応山千本釈迦堂大報恩寺
大報恩寺(千本釈迦堂)は、用明天皇が勅願の道場として開創されたと伝えられるが、その後廃滅に帰していたのを、求法上人義空によって再建されたものである。宸殿造りの本堂は、応仁の乱をはじめ幾多の戦役にも難を免れた旧京都市内で最古の国宝建造物である。

大報恩寺(千本釈迦堂)の本尊である釈迦如来像は、鎌倉初期の名工快慶の弟子、行快の作であり、六観音は、貞応三年(1224年)定慶の作、釈迦十大弟子尊像は快慶晩年の作で、いずれも重要文化財に指定されている。いずれも実に優美なもので、このように欠けることなく保存されているのは、全く珍しいことであり、貴重なものといえる。         fron net

御詠歌      ひとすぢに 仏の教 たどりなば 千本(ちもと)の道も 迷はざるらむ
宗派        真言宗智山派
開基        求法上人義空
ご本尊       釈迦如来、六観音
創建        1227年
所在地      京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町1034



入り口に立つ石塔
山門
北野経王堂
北野経王堂
稲荷社
不動明王堂
阿亀桜(おかめざくら)   
本堂      1227年建立で京都最古の木造建築
オカメ塚
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