新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

16番 大報恩寺から 15番 新京極誓願寺をめざして



2018/5/9   大報恩寺 ⇒ 誓願寺   5.2km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。


二条城
二条城
京都文化博物館


15番 新京極誓願寺   この誓願寺は、清少納言が、誓願寺で髪を剃って比丘尼(びくに)となり仏道に入られたことや、和泉式部が娘の小式部に先立たれ、誓願寺に参籠して娘の菩提を弔い念仏三昧の生活に入り、ついに髪を落としここで一生を終えた言われなど、昔から女人往生の寺として知られている。特に和泉式部と誓願寺の関係は世阿弥作と伝えられる謡曲「誓願寺」にあるとおり深く、同謡曲の中で瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に歌舞の菩薩となった和泉式部が現れることなどから、芸道上達の寺としても信仰されている。          fron net

御詠歌      人波に おされながらも 誓願寺 心にふかく 頼みきにけり
宗派        浄土宗西山深草派
開基        天智天皇勅願
ご本尊       阿弥陀如来
創建        667年
所在地      京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453



山門
本堂
北向地蔵尊
扇塚
世阿弥の作と伝えられる謡曲「誓願寺」は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の縁起と霊験を物語ります。この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人が数多くありました。特に舞踊家が多く、文化・文政・天保(1804−1844)のころに京都で活躍した篠塚流の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、彼ら舞踊家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。歌舞の菩薩となる和泉式部/誓願寺縁起より その信仰を、昭和・平成の時代まで伝承した舞踊家がありました。 誓願寺の「扇塚」に芸道上達を祈願して「扇子」を奉納することには、このような深い歴史的な意味が秘められているのであります。また誓願寺第五十五世、策伝日快上人(1554-1642)が「醒睡笑(八巻)」を著作して落語の祖と仰がれておられることも、「扇子」との強い絆を保持するゆえんであります。                  説明板から
鐘楼
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