新西国霊場とは 大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。 近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
客番 安岡寺から 13番 神秀山満願寺をめざして
2017/11/27 安岡寺 ⇒ 阪急・高槻市駅 2.9 km
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2017/11/21 阪急・高槻市駅 ⇒ JR川西池田駅 21.0km
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10:15 高槻駅から旧・西国街道に入る。国道171号線のことを別名・西国街道ということがあるが、ここではそれではなく、本当の西国街道。 芥川一里塚と旧芥川宿 淀川とともに重要な交通路であった西国街道は江戸時代には「山崎通(みち)」といい、京都・山崎と西宮を結ぶ脇街道として、西国大名や旅人が多く行きかっていたという。参勤交代のための本陣や伝馬、旅籠などが置かれていた。19世紀前半には、旅籠33軒、家数も253を数えて大いに賑わった。 〜 案内説明板より 〜 |
教宗寺 山門 高槻市芥川町4-6-3 同寺の先祖である田淵久兵衛教宗が、親鸞上人の直弟子となって弘安10年(1287年)、自宅を寺院に改めたのが創始と伝わる。 |
教宗寺 檣楼 |
教宗寺 本堂 |
右近灯籠 高山右近が、江戸幕府によるキリスト教大禁教令のため、金沢を去るに際し、親しかった富田半左衛門に託して、秘かに残したキリシタン灯籠。 〜 案内説明板より 〜 |
大田茶臼山古墳 この古墳は、全長226m、前方部幅147m、後円部径138mの一重の濠をもつ大きな前方後円墳だ。前方部端幅と後円部径があまり違わない点、平坦地に造られていることなどから、古墳時代中頃のものと考えられている。継体天皇は、前代の天皇に後継者がなかったので、越前から迎えられ507年に楠葉宮で即位したとされている。この古墳が継体天皇陵と認定されたのは元禄の頃で、今城塚古墳が御陵ではとの説もあり、結論はでていない。 〜 案内説明板より 〜 |
東芝・大坂工場跡地 茨城市太田東芝町 約185000平方メートル これだけ広い敷地が再開発を目指して、整地されていた。 |
西国街道にはこのような古い町並みが残る。 |
安威川を渡っています。この川は流れ下って東淀川区で神崎川と名前を変えます。 |
阿為神社御旅所 茨城市耳原3 ここは、ここから約1.5km北にある阿為神社の御旅所です。 御旅所とは、神社の御例祭の際に、本宮から出た神輿がしばらく 仮にとどまる所です。 阿為神社、平安時代の延喜五年(905)、醍醐天皇の命により編纂された「延喜式」の神明帳 に記されている式内社のひとつで中臣藍連が初めてこの地に来て、祖先である天児屋根命を 氏神として祀ったのが始まりだといわれています。明治41年(1908)には、手久良山の 幣久良神社(式内社)を合祀されました。 毎年5月3・4日におこなわれる阿為神社の御例祭の際には「神輿とふとん太鼓」が安威・耳原地区をまわり、 この御旅所で休息をとります。 〜 案内説明板より 〜 |
妙法山 法華寺 住所:大阪府茨木市耳原3−5−3 宗派:顕本法華宗(旧日蓮宗妙満寺派) 創建:慶長9年(1604)。 宗祖:日蓮聖人。派祖:玄妙日什 開基:京都妙満寺の第28世蓮照院日善上人。 本尊:宗祖日蓮の大曼荼羅(釈迦・多宝如来坐像) |
白井河原合戦跡 元亀2年(1571年)に荒木村重や中川清秀ら池田氏方と織田方の和田惟政が茨木川を挟んで戦った古戦場です。この白井河原合戦で池田方2500騎は馬塚に布陣、織田方500騎は糠塚に布陣して対峙する。この戦いで織田方の和田惟政は討死し、池田方の勝利となった。 |
西国街道から国道171号線に入り、西進している。府道1号線(2階)と大阪モノレール(3階)と交差した。大阪モノレールの支線が万博記念公園駅から分岐し、北上して学研都市、ニュータウン彩都と結んでいる。 |
国道171号線を西進し、箕面市に入った。 |
阪急・箕面駅前。 箕面大滝付近は前の台風で崖崩れがあり入れないとの看板があった。 |
猪名川と阪神高速池田線まで歩いてきた。川西池田駅も、もうすぐ。 |
2017/12/1 JR川西池田駅 ⇒ 満願寺 2.3 km
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川西池田駅から住宅地の中を登ってきたが、この急な坂は並の坂ではなかった。10度越えるような坂でした。この辺りは宝塚市になります。次の写真の宝塚大学を超えた辺りから飛び地の川西市満願寺町になります。 |
宝塚大学 造形芸術学部の学舎下を歩いています。 六甲全山縦走路の宝塚降り口にある看護学科も宝塚大学。 |
13番 神秀山満願寺 |
御詠歌 むら雲は あとなく晴れて 寺の名の 願ひも満つる もちの夜の月 |
山門前の石段 |
山門 |
参道 |
参道 |
本坊 |
檣楼 |
子安地蔵尊 |
金堂 |
毘沙門天堂 |
観音堂 |
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