新西国霊場巡礼の足跡
新西国霊場とは
大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。

近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

6番 宝亀院から 10番 仏頭山上宮皇院橘寺をめざして



2018/3/25   宝亀院 ⇒ JR和歌山線・橋本駅     27.0 km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

高野山・桜池院       宝亀員の隣。
高野山にある宿坊寺院のうちの一つで、1100年代に、 白河天皇第四皇子覚法親王によって、作られました。今の本堂の建物は、 当時のものが現存しています。 高野山の中では、西の方に位置し、伽藍や霊宝館(宝物館)に近く、 朝夕の散歩に最適のロケーションにあります。
高野山・  浪切不動尊別宮 別格本山・南院の山門
東大寺の南院に住していた子島真興僧都の建立。空海が唐より帰国のとき嵐に遭い、その時、空海は自ら不動明王を刻み祈願して荒波を鎮め無事に帰国できたという。その不動明王像は当初は壇上伽藍の山王院に安置されていたが、南院住職維範大徳の時(平安時代)に当院に移された。
高野山・  浪切不動尊別宮 別格本山・南院の本堂
高野山・ 徳川家霊台
徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。この場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。
高野山・ 蓮華定院の山門
高野山宿坊の蓮華定院は、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸・幸村父子が逗留した場所。院内の随所に真田の香りがプンプンする宿坊。真田家の家紋である六文銭は院内の所々に施され、それを見つける楽しさは歴女の中でも密かなブームとなっています。父子が過ごした同じ場所に座りながら当時に思いを馳せるのも良し、昔ながらの宿坊を堪能するのも良し。
高野山・  蓮華定院の本殿
高野山・  女人堂
高野山は明治5年まで長く女人禁制でした。その間、高野七口にはそれぞれ女人堂が建っていて、女性はそこから先へは行けませんでした。その女人堂で唯一残っているのが不動口の女人堂です。お堂には弁財天、大日如来、神変大菩薩が祀られていて、極楽橋から不動坂を登ってきてたどり着く場所で登山者の休憩地にもなっています
高野山・ 小杉明神社
高野山・ お竹地蔵
高野山・ 京大坂道不動坂
高野山・  京大坂道不動坂
高野山・  京大坂道不動坂
高野山・  京大坂道不動坂
高野山ケーブルの路線と交差する地点のトンネル
高野山・  京大坂道不動坂
高野山ケーブルの極楽橋駅まで下ってきた。
高野山・  京大坂道不動坂
極楽橋駅の不動坂入口の橋は朱色に塗られ新しかった。
極楽橋から下る道路。
九度山の果樹園。見えるのは柿の木。
南海電鉄・学文路駅
紀の川を渡っています。

2018/3/15    JR和歌山線・橋本駅 ⇒ 橘寺   28.7 km

行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。
近鉄吉野線・薬水駅下の道路を通過中。             奈良県吉野郡大淀町薬水
市尾墳山古墳                           奈良県高市郡高取町大字市尾
墓山古墳は墳丘の長さが約」70m、高さが10mの前方後円墳です墳丘は二段に築かれ、周濠と外提をあわせると全長100mの規模になります。
昭和53(1978)年の発掘調査で、後円部からは横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されました。また石室内からは武器、馬具、玉類、土器などが出土しました。平野部にある前方後円墳であり、大和盆地においては初期の横穴式石室や巨大な凝灰岩製の刳り貫き家形石棺をもつことなどから、昭和56(1981)年に国史跡に指定されました。
平成16(2004)年度から平成18(2006)年度に行われた調査では、古墳築造に使われた多くの粘土の固まり、石室をつくるときに地下に埋め込まれた基礎石、墳丘一段と二段目の間のテラス部分に立て並べられた埴輪列、周濠から鳥、笠、石見型などの木製品が出土しました。
墓山古墳の築造された時期は、出土遺物などから6世紀初めごろと考えられえます。古墳時代後期を代表する貴重な古墳で、当時この地域に権力をもった豪族が葬られていたと考えられます。
                              案内説明板から
市尾墳山古墳
後円部上部には横穴式石室があります。石室は長さ5.87m、幅2.60m、高さ3mですが、石室内に上部から水の侵入があるということで上部墳丘に防水シートが敷かれていた。
浄土宗 如来寺  山門と鐘楼  (正面  道路側から)      奈良県高市郡高取町市尾903?1
浄土宗 如来寺  本堂
浄土宗 如来寺  山門と鐘楼   (本堂側から)
祐福寺                   奈良県高市郡明日香村平田305?1
明日香村立聖徳中学校(明日香らしい校名ですが)では3月15日に卒業式が行われていた。校門前の道路を通ったので写真に納めさせてもらった。
亀石
龍神王




10番 仏頭山上宮皇院橘寺

御詠歌       仏いで 花ふるにはの ありけるに 遠きくにとは 何おもうらん
宗派         天台宗
開基         聖徳太子
ご本尊       聖徳太子勝鬘経講讃像
創建         606年
所在地       奈良県高市郡明日香村橘532


西門
護摩堂
観音堂
経堂
本堂
往生院
鐘楼
三光石      聖徳太子ご講讃の時、日 月 星の光をはらった。
二面石     飛鳥時代の石造物。人の心の善悪二相を表したものと言われている。
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