西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


27番 書写山圓教寺をめざして


2016/10/30 法華山一乗寺⇒小原⇒新小川橋⇒JR京口駅 13.1km 


 


行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウで地図が開きます。


一乗寺を出て川沿いには苔むした道が続いていた。木洩れ陽が心地よい。
国道372号線をめざして、県道515号線を北上中。道路横の灌漑用池は干上がっていた。 
国道372号線との合流点に達した。この交差点を左折し、姫路に向かう。
市川を跨ぐ新小川橋から下流側を望む。



2016/11/2 JR京口駅⇒姫路競馬場⇒心光寺⇒ロープウェイ山麓駅⇒登山道⇒書写山圓教寺 11.2km 


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9:34 道路を挟んで右は姫路競馬場。左は陸上自衛隊・姫路駐屯地。
10:09 浄土宗・心光寺
心光寺は、御着の隣村の佐土村(別所町佐土)に有った真言宗梨原寺が前身です。
御着城主小寺家の菩提寺でしたが、同氏は一向宗に改宗しました。黒田官兵衛の父職隆は、熱心な浄土宗信者であった。正室明石氏の菩提を弔うため、ここを浄土宗に改宗・改築し、黒田家の菩提寺としました。その後、職隆が、姫路城に移るとともに、姫路に移されました。1608年、池田輝政の町割りの際に坂田町(今の保健所あたり)に移されました。昭和初期、国道2号線が境内を貫通したりして、平成2年11月に現在地に移りました。 (説明板より)
10:39 夢前川辺りから書写山を望む。山の中腹の白い建物はケーブルの山上駅舎。
11:05 書写山への登山口。
11:09 登山道はよく整備されており、木洩れ陽の中を快調に登れた。
11:15 らかん岩。岩のあちこちに5体の羅漢を抱えている。




27番 書写山圓教寺

御詠歌    はるばると のぼれば志よしやの 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
宗派     天台宗
開基     性空(しょうくう)上人
ご本尊    如意輪観音
創建     966年
所在地   兵庫県姫路市書写2968



仁王門。   県指定文化財
圓教寺の正門。東阪の終点にあたり、これより中は聖域とされる。門は、両側に仁王像を安置し、中央が通路となっており、日本の伝統的な門の形を受け継いだ。「三間一戸の八脚門」である。天井には前後に二つの棟をつくり、外の屋根と合わせて「三つ棟造り」となっている。(説明板より)
摩尼殿。(まにでん)  国登録有形文化財
書写山の中心をなす圓教寺の本堂。桜の霊樹に天人が礼拝するのを見た性空上人が、その生木に如意輪観音を刻み、これを本尊とする堂を築いたのが始まりと伝わる。幾度か火災に見舞われており、現本堂は1922年に消失した前身建物の残存遺構や資料をもとに、ほぼ前身を踏襲した形で1933年に再建。
摩尼殿
食堂2階から大講堂を見る。
左が常行堂(じょうぎょうどう)。右は食堂(じきどう)。
大講堂。
圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場。室町中期の建物で、食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三之堂」(みつのどう)を形成している。内部は、内・外陣に区切られており、内陣には釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊、左が普賢菩薩)が安置されている。
常行堂。
常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場。建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂。北接する長さ十間の細長い建物が楽屋、その中央に張り出した舞台とからなり立っている。内部は、中央に二間四方の瑠璃壇を設け本尊丈六阿弥陀如来坐像が安置されている。舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。
不動堂。
1673〜1681に堂を造り、明王院の乙天護法童子の本地仏不動明王を祀る。1697年堂を修理し、荒廃していた大経所を合わせて不動堂としている。俗に赤堂と呼ばれていた。乙天童子の本地堂であるが、若天童子のそれではない。一説には、若天はその姿があまりに怪異なため人々が恐れたので、性空生上人が若天に暇を出したとも言われている。
護摩堂拝殿。   県指定文化財。
奥の院の広場をはさんで護法堂と向かい合っている。このように拝殿と本殿(護法堂)が離れて建てられているのは珍しい。今の建物は1589年に建てられたもので、神社形式を取り入れた仏殿のような建物で、一風変わった拝殿である。
この拝殿はその昔、弁慶が鬼若丸と呼ばれていた頃、この山で修業をしたことから、弁慶の学問所と呼ばれている。今もその勉強机が残っている。  (説明板より)
護法堂。        国指定重要文化財
向かって右が乙天社、左が若天社。
書写山で性空上人が修業していた時に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子をまつっている。
同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ室町末期の神社建築の特色をよく表している。
開山堂。   国指定重要文化財
性空上人をまつる堂で、堂内の厨子には上人の御真骨を蔵した等身大の木像が納められている。1007年上人の没年に高弟延照が創建、1286年焼失。現存のものは1671年に造り替えられたもの。
書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核。
軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。
金剛堂。                 国指定重要文化財 。
室町時代の建物、三間四方の小堂でもとは、普賢院という塔頭の持仏堂であったと言われています。
内部には、仏壇を設け厨子が安置されていた、天女の天井絵があります。
もとは茅葺きで、内部の天井は弥勒寺同様に、小組格天井であった。
薬師堂。      県指定文化財
根本堂とも呼ばれ、圓教寺に現存する最古の遺構。
姫路城主・松平直基の墓所
松平直基は徳川家康の孫。元は出羽国の山形城にいましたが、1648年祭国探第職として)播磨国の姫路城主を命ぜられました。しかし、山形から姫路へ移動の途中、江戸で発病し姫路城に入らず、なくなり、遺骨は相模國の斎場に葬られた。
法華堂。
法華三昧堂といい、創建は985年、播磨国司藤原季孝によって建立された。もとは桧皮葺であったが、現在のものは、建物、本尊ともに江戸時代の建立。昔は南面していた。
鐘楼。
袴腰(はかまごし)付で腰組を持った正規の鐘楼で、全体の形もよく整っている。鎌倉時代後期の様式を残す鐘楼であり、全国的にも極めて古いものとして貴重である。
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