いなろく(176号線)running  through

176号線を大阪から宮津まで走り抜けます。さて何日かかることやら。何年で走れるかなー。

2007年になってやっと宮津まで走りとおした。まる8年を費やしたことになる。

176号線 国道176号線は大阪・梅田の梅田新道分岐を始点にして、北上し、淀川、神崎川、猪名川と次々渡って、宝塚市に入ります。平野部、扇状地部はここでお別れ。六甲山系の東の端を横断し三田盆地へ。さらにいくつかの峠を越え篠山盆地へと続く。丹波山地の間の狭い、狭い平野部を連ねた国道がさらに北上する。氷上を過ぎると兵庫県に別れ、京都府へ。城下町・福知山から今度は丹後山地の間の狭い谷筋を分け入る。日本海に出て終点は宮津市
176号線沿いの市町村・観光地 大阪市 浪速・商都。工業都市。
此花区にあった造船会社に10年間勤めた。環状線、桜島線を乗り継いで通ったのが懐かしい。通った設計事務所ビルは今はユニバーサル・スタジオ・ジャパンに姿を変えてしまっている。
豊中市 下町:庄内から高級住宅地:曽根まで広範囲な街並みを持つ市だったが、9年間の寮生活で過ごした曽根は、その姿を刻々と変えていった。邸宅は代替わりで切り売りされ、商店に変わっていった。当時、ダイエー系コンビニ:ローソンの第一号店が曽根の住宅地の中に出来たのを覚えている。このコンビニがこんなに広がるのを予想できなかった。
池田市
川西市
宝塚市阪急・歌劇の町。
三田市我がホームタウンとなって、20数年。新(ニュウタウン)と旧(下町的な雰囲気をこのままずっと保っていて欲しい)が程良く混在した街。
篠山市城下町・ボタン鍋・黒豆の里・山の芋。
今はこの街に勤務しています。
柏原町城下町。
高校はここまで通った。列車で黒井からここまで通ったが、乗り遅れると、自転車で直接ここまで通ったのも遠い昔の思い出。
氷上町 日本一低い分水嶺のある町。
春日町 観光物産の町。我が生まれ故郷。
市島町 清酒「小鼓」の町。
福知山 城下町、福知山音頭の町。福知山マラソン
176Running Memo
月日区間距離km感想 などなどetc.
2000年10月22日   三田(自宅)〜JR藍本駅 14   朝、6時45分出発。いつもの早朝runのつもりで出たが、漫然と走っていても刺激が無いなあと思い、何ヶ月かかるかわからないが176号線を走破してみようかと考え、今日の練習ルートを北に変えた。6:50JR三田駅通過。7:10新三田駅通過。これまで、堤防沿いを走ってきたが、国道に出る。大型トラックの排気ガスと粉塵に悩まされ、歩道のjogも大変。旧道や農道を出来るだけ走ろうとするが、見つからないところは国道を走る。歩道が完備されているところは良いが、峠などは無いので、仕方なく車道を、右側通行で走る。8:15 JR藍本駅到着。
2000年12月28日   木   三田(自宅)〜宝塚   25朝、7:10自宅発。ポケットには1500円。いつものコースから桑原で別れて、道場に向かって武庫川沿いの道を走る。少し走って、日の出7:30頃。塩田八幡神宮下を通って、神鉄道場付近でR176に出る。前に西宮名塩駅まで走ったことがあり、ルート設定には迷いなしで走れる。ここからは、武庫川の左岸を対岸の176を見ながら走った。西宮北インター手前で橋を渡って、路地を走り抜け西宮インター付近に着いたのが8:20。ここで間違って、有馬温泉方向の道に行きかけたが、修正して176に戻る。ここからは176の歩道を走る。有馬病院付近までの登り坂がきつかった。上り詰めた地点より下っていくのに176沿いには歩道が無く危険なため、東六甲ゴルフクラブに行く道にコースを取る。中国自動車道沿いにしばらく走って突然急峻な登り。登った上はさくら台住宅地の上、この中を走り抜け、176に合流。名塩の176沿いの狭い歩道をしばらく走った。2車線国道の白線を引くために歩道は狭めるだけ狭めたという感じで、走り辛かった。ここでも交通弱者がドブ板の上まで押しのけられている。西宮名塩駅着は9:00。ここで、コーヒーを飲み、しばしの休憩。塩瀬中学付近から住宅地内の旧道を走る。武庫川の支流に当たる細い川沿いに走ったが、この川の水の澄んでいるのに驚いた。住宅地内にも関わらず本当にきれいだった。田舎の川の水はかえって汚いのは、農排水や畜産排水、家庭排水などによるものと思われる。生瀬駅付近通過し、宝塚着は10:00少し前。
2001年2月10日宝塚〜大阪・梅田259:12 宝塚駅を出発。風もなく、日差しが暖かく感じた。宝塚ファミリランド横を通って南下、さらに南下。尼宝線と別れるまでが意外と長かった。尼宝線と別れて、東進。歩道のうねりに足を取られないように、ゆっくりと気を付けながらのrun。川を渡るたびにそれまであった歩道が、突然無くなり、歩行者用の橋はずっと上流または下流まで迂回しなければならない。いつの間にか、車中心の道になってしまい、歩行者なんて車の通行のじゃまにならないように、歩道を造って、そこを歩かそう。ついでに自転車もじゃまだから歩道に揚げよう。・・・の思想をどこかしこに感じながらのrunとなった。福知山線と猪名川を渡って、池田市へ。ここまでずっと、バイパスを走ってきたが、車の排気ガスにのどを冒されて、いがらっぽくなったので、旧道側の176号線に出て、少しは車の少ない方を走ることにした。風景も旧道側は変化があって良い。阪急電車の横をすり抜けて、石橋駅の高架へ。10:20蛍池駅着。モノレールが伊丹空港や万博公園をつないでいるが客も少なくひっそりとした感じ。駅前とは言いながら、客の付かない真白い看板を見てしまうと、以前の賑わいを知っているだけに残念な気がする。国際線を呼び戻しても良いのでは。10:44豊中駅着。以前よりも北100mに新駅が橋上線路、立体交差で出来上がっており、雰囲気が変わってしまっていた。11:00曽根のHZ豊中寮に着いた。10年間の民間生活の内の8年ほどをここで過ごした。今は建て替わり、マンションのような感じに変わってしまっていたが、周りの住宅や、東隣の保育園は以前のまま。20年ぶりの寮は変わり果てて、訪ねる気をも起こさせない。さらに、南下。服部駅は意外と近い。庄内駅から寮までよく歩いて帰っていたが、そのころとあまり、店並も変わってはいなかった。10:44庄内駅着。コ−ヒーを買って、エネルギーの補充。庄内駅付近の賑わいは依然と同じ。下町の庶民の店、市場の雰囲気で、入っていきたかったが我慢して、さらに南下。神崎川鉄橋にさしかかる頃から、風がきつく日差しも無くなり寒くなってきた。案外、神崎川の水はきれいでカモメがたくさん川面に戯れていた。阪急・三国駅はカーブがきつく、急行電車に乗ると減速して駅の入ってきて、通過して行くがそれでも、キーキーと鳴っていた。それが、駅舎の移動、レールの付け替えでずいぶん速く電車が通過して行っていたのが見えた。十三着は11:42。腹が減ってきたので歓楽街を一周したが、適当な店を探したが、見当たらず。11:50十三発。淀川鉄橋は風がきつく、ただ走るだけ。足が痛く、もう少しもう少し、だましだましで走った。大阪・梅田着は12:10ごろ。曾根崎新地まで行って、寿司の食べ放題¥1,500にチャレンジ。18皿でgive up。もう少し食べられると思っていたが、ダメ。もう当分、寿司は食いたくない。
宝塚〜大阪・梅田まで道路標示は22kmであったが、どこ彼処で回り道をさせられ、大変だった。タイムも遅く、本当のLSD。slowを実行した。
2001年2月11日 JR藍本駅〜草野駅 2 昼頃、自転車で藍本駅まで向かう。自転車ならすぐと思っていたのが、大きな間違い。普段と違った筋肉を使ったのと、昨日の疲れとで、藍本駅に到着するまでに筋肉パンパン状態。駅に自転車を置いて、走り出したがすぐに足が痛く走り辛くなってしまった。春が近くなってきたと感じさせる暖かい日差しのもとで、もっともっと走りたかったが無理をせず、一駅分を走って終わりにした。
2001年4月22日 JR草野駅〜JR丹波大山駅 10 早朝runのつもりで早く起き、5時過ぎに家を車で出て、一路草野駅に急ぐ。草野駅付近に車を止め、走り出したのは5:50。周りは既に明るく、ほぼ快晴。川沿いの農道を通って一旦176号線に出た後、古市の町中を走った。古びた商店街、昔はそれなりに繁盛したのかも知れないが、車社会になった今、誰も旧町中に車を止めてまで買い物しない。ちょっと足を伸ばして、広い駐車場のある大型店で用を済ませてしまう。たばこ屋と酒店だけが既得権で細々と店を構えていたが、この先それだけではダメなことが解っているのだろうかと思いながら、町中を走った。途中に、赤穂浪士のゆかりの寺があり、立ち止まって参拝。これが6:05頃。古市を過ぎ、田園の中の農道に出た。この辺からきつい北風に悩まされた。二日前から寒の戻りで寒かったが、昨日の雨を降らせた低気圧が東に抜け一時的に冬型の気圧配置になり、今日はきつい北風が吹き荒れていた。田圃の中の何も遮るもののない関係で風をもろに受けた。篠山口駅に着いたのは7:40。さらに北に。山をつぶして造成した住宅地:住吉台の中を走り抜け、丹波大山の駅に着いたのは7:00。まだ余力はあったが、つぎの駅は176号線から離れてしまうので、次回にまわした。次は、JR柏原駅に向かって、国道沿いに走る。
2001年5月17日 JR丹波大山〜JR黒井駅 20 9:30篠山市の川代体育館に車を止めて、北に向かってJOGスタート。旧道を出来るだけ走った。10:00大山の追手神社で小休止。国指定天然記念物の樅の木(幹周り:7.8m、高さ34m)を見たが、それ程たいしたものでは、無いように見えたが、天然記念物とはどういう基準でどれほどあるものなのか疑問に感じた。10:20鐘が坂のトンネル通過。片側交互通行の工事中につき、トンネル内を走っていてもそれ程怖い思いはしなかったが、通常の両側通行時だと無事通れたかと不安になった。トンネルを過ぎた後、鐘が坂公園を通り抜けた辺りで、新トンネルへの接続道路の工事中。ここでもまた、どんぶり勘定の、税金の無駄遣いの、どこまで景気の浮揚策として疑問詞がついた公共工事が真っ最中。柏原の町中も旧道を通って、八幡神社についたのが10:50。我が母校:柏原高校の横をすり抜けたが、授業中か静かな感じ。中間考査がまだ始まっていないのか、生徒を見かけなかった。11:15JR石生駅に着いた。気温がぐんぐん上がり、汗まみれ。電車の時刻表を見ると、15分近く待たねばならなかったので、次の駅の黒井駅を目指してさらに歩を進めた。ここからは、日差しがきつく、疲れも溜まってきて、さらにスピードが落ちてきた。我が生まれ故郷:春日町の黒井駅に着いたのは11:50頃。久しぶりの2時間RUN。スタミナを付ける練習の一環は、こうして無事終わった。
2003年3月31日 JR黒井〜JR福知山 22 朝7:50黒井駅北の町営駐車場に車を止め、走り出した。一路北上。途中から雨が降り出した。10分程度、小雨が降り続き、さらに雨足がきつくなってきた。最初の区間だったので、走り続けたがもっと行ってからの後半であれば、中止にしたかもしれない。市島駅着は8:35。駅に立ち寄りぶらっとしてさらに北上。歩道が整備されているところは良いが、無いところはすぐそばを車が走り抜け怖かった。引っかけられそうで、思わず道路外に飛び出しながら、走った。竹田の旧道沿いの西山小鼓酒造の横では、いい匂いが道路まで流れ出していた。高校で教えてもらった英語の先生はここの人。今はどうしておられることやら。丹波竹田駅着は、6:06。ここからは、遠かった。県境の峠にさしかかり、汗が噴き出した。峠の下りは、快調に飛ばした。トラックの排気ガスに悩まされた。福知山駅着は10:15。駅の手前で、ビールを飲み、歩きながらの到着となった。
xx年11月23日 福知山〜 10 福知山マラソンで何回か走ったコースをここに算入した。
2007年9月15日 下天津〜宮津 40 10:45頃:下天津駅に車を止めて、走り始める。11:30に坂浦トンネル通過。13:00頃、与謝トンネル通過。14:10、加悦の「道の駅」で水を補給。16:07に宮津駅着。  電車で下天津駅まで戻ったが、所要時間は30分。5時間かけて走破した距離を30分とは、あっけないものだった。
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