韓国 旅行記
期間: 2001年1月26日(金)〜1月28日(日)
宿舎: ソウル・ロッテホテル(ランク:☆☆☆☆☆)
日程: 第一日目:関西空港〜ソウル・金浦空港〜焼き肉屋〜ホテル
第二日目:ホテル〜自由の橋〜統一展望台〜シェラトンウォ−カーヒル
第三日目:ホテル〜金浦空港
第1日目 |
14:30 出発
午後年休を出して、出発。丹南篠山口インター→(近畿自動車道・舞鶴線)→神戸・三田インター→(六甲北有料道路)→五社→(近畿自動車道・北神戸線)→箕谷→(新神戸トンネル)→新神戸→(地道)→生田→(阪神高速・神戸線)→摩耶→(地道)→住吉浜→(阪神高速・湾岸線)→16:50 関西空港着
湾岸線を初めて走ったが、ずいぶん海側に高速道路を造ったもんだなーと思う。橋脚となる土台はすべて、埋め立て地に建っており、埋め立て地を島づたいに走っている道路である。海側には、ゴミの埋め立て地が並び、それに付随して必要なゴミ焼却炉がいくつも目に付いた。前職で、手がけた現場や他社に負けた現場などを思い出しながらのドライブとなった。臨海工業地帯の汚い風景の中に場違い的なハイカラな建物それがゴミ焼却炉、税金で役人が造っているとは言え、もう少し企業的な意識が必要なのでは?。
19:10〜21:00 Airplane(アシアナ line )
乗って滑走路にでてもなかなか飛び立たない。何十分も待たされて飛び立っても、することがない。ハングル文字の機内誌を見ても分からない。機内の音楽放送もないし、テレビ・ビデオ放送もない。飛び立ってベルト着用サインが消えると即、機内食を配って回ってきた。飛行時間が短いので配られるとすぐにみんな急いで食べた。日本のスチュワーデスは特に国内線は年輩ばかりだが、この韓国のアシアナはドル箱ラインでかもしれないが美人揃い。皆若い。皆、スリム。
韓国上空にないって高度を落としていく段階でガタガタ。だいぶ古そうな機体だけにちょっと心配。だが、無事着陸。(乗客の拍手は起こらなかったが、・・・・・。)外は、雪景色。
空港出口で現地案内ガイドを見つけるまで不安だった。一番出口側に居たため、プラカードを見つけるまでみんな、暗い顔。女性韓国ガイドを見つけてやっと一安心。
22:30〜 焼き肉レストランで食事
市内までずいぶん走ったようだが、某焼き肉レストランに着。店は閉店時間を過ぎており、客は我がパーティのみ。肉の食べ放題か否かで一悶着。肉は叩いて丸めており、良い品かどうか分からない。タレが少し変わっていると思った。(我が家のそばの焼き肉レストラン:アリラン亭の方が旨いと思ったが、言うのは控えよう。)
ビールは最初少し甘いなーと思ったが気にならない。旨かった。キムチも本場は旨い旨いと聞いていて期待しすぎたせいか、それ程と思った。たらふく食って、ホテルに。
?:?〜 ソウルの夜の街へ
夜の街へ繰り出したが、疲れておりセブンイレブンでの買い出しのみにした。
第2日目 |
5:10〜6:30 ジョギング
外は昨夜からの雪で2〜3cmの積雪。ホテルを出て南へソウルタワーに向かって走り出したが、途中で迷ってしまった。セブンイレブンに入って店員に方向をきいてもはっきり伝わらない。来た道を帰ろうにも、方向が分からずで困った。大通りを渡るのに地下道しかなく上がったときに方向を見失ってしまう。
市庁まで帰って横にある、徳寿宮の入り口(大漢門)に行ってみたが開門前。追い返された。仕方なく、地下道に降りて、地下道をjog。ソウル地下鉄はすべて自動改札になっていたが、日本と違って、入り口に回転式のゲートがあった。朝早くから、乗降客が多く活気にあふれていた。この活力に日本は負けたのか、いやまだ負けてはいないが、既にソウル金浦空港に東アジアのハブ空港の座をとられているし、追いつかれてしまわないように日本もがんばらなくては。
8:00 朝食
朝食に何を食べようか。昨夜の焼き肉のニンニクがまだ鼻についている感じもあり、日本食にした。何も韓国まで来てとは思いつつ、安心して食べられた。日本の温泉地に泊まりに来ているのと、何ら変わらないところが怖い。雰囲気から、会話まで韓国を感じさせない。海苔が韓国海苔を出されたくらいであとは、純日本風。
9:00ホテルロビーで韓国女性ガイドと運転手と待ち合わせ。
9:10出発。一路北上、自由の橋へ。
市内をくぐり抜け、高速道路へ。どこからどこまでが高速道路かわかりにくい。日本のような料金所がどこ彼処にあるわけではなし、入り口ゲートもなし。2から4車線くらいあるのだが、一車線分が狭く、路面も荒れている。そこを、ガタガタのマイクロバスでスピードを出して飛ばすので、スリルがあるのを通り越して怖い。見晴らしが良いと思って、最前列に座ったのが間違い。はらはらし通し、景色を楽しめないので、ずっとビールを飲みながら気を紛らわせた。
昨夜の内に辺り一面雪。約10cm位つもっていた。比較的、しめった雪で、それほど滑りそうにもないが、普通のラジアルタイヤで、お構いなしに飛ばす。日本の高速道路では、雪が降れば除雪作業を必ずするものだが、韓国では雪が降っているにもかかわらず、積雪があるにもかかわらず、除雪作業は見なかった。4車線ほどの幅の中で一車線だけが車の通行で一部雪が解けて、車の走行車線みたいになっていて、車はすべてこの一車線を通る。もし、前に鈍い車がいると、その後ろには車が数珠繋ぎになる。バスはその数珠繋ぎを大外から、除雪されていない雪の上の走って抜いていく。路線幅が狭いし、寄って避けようと思っても、寄るべき車線は雪まみれで寄れずで、追い越し車は手の届く距離を併走する。大変怖い。尻を振りながら、追い抜きをかける。ズルズルと滑るとき、生きた気がしない。見るとどの車も泥まみれ、傷だらけ。
−−−−−これだけ、手抜きしているように見えるが、その替わり、高速道路は無料に近いのでは?。(既に償却して無料にしてしまったのかもしれない。帰国して韓国の高速道路網の地図を調べたが、ソウル〜板門店への道は載っていなかった。)途中で、一度料金所みたいな所を見たが、後はなし。日本のように、いつまでたっても、建設費を償却しても、何時まで経っても無料にならない高速道路よりも、いいのでは。なにも、高速道路は有料道路であらねばならない必要性はないんだから。多少狭くても、多少凸凹でも無料に勝るものはない。日本は、政治が悪い。天下り先を確保するための公団・公社等をいつまで経っても解消しないがために、金を取り続ける。
ソウルから北に向かう道は、上下三車線の間に10車線くらいの遊空地が延々と続く。これも、有事の際の軍事転用を考えたものと思う。有事の際、この道は戦闘機の滑走路になるものと思う。
ソウル市内道路を最初見て広く感じた。道幅自体は、日本とそんなに変わりないのに、なぜ、広く感じるんだろうと不思議に思って、注意深く観察すると.....。
中央分離帯がない。歩行者用の陸橋がない。歩道と車道の分離があいまい。交差点が広い。などによって、道はただ凹凸を少なくした広い通路であって、地上には邪魔な工作物は見あたらない。
なぜ、.....?
道路は、いつでも非常事態に備えて、軍用のトラック、戦車等が通りやすいように、交差点は臨時的にはヘリポートとして使えるように都市計画に反映させている。なによりもこれが優先するのが韓国の現実であると感じた。日本では考えられないことであるが、その厳しい現実を見て少なからずのショックを受けた。
10:00 自由の橋
この橋を渡ると、非武装地帯に入り、さらに進むと板門店に至る。金大中(キムデジュン)大統領の太陽政策によって生まれた南北朝鮮の緊張緩和に基づき、現在この自由の橋が建設中であった。南北をつなぐ鉄橋になる予定で、北朝鮮までさらに先まで・・・・・をつなぐ列車が早く走る日が待たれる。果たして、実現するであろうか。・・・・・案外、早いかもしれない。そのとき、韓国・北朝鮮がどうなっているか。
川の手前側に見える柵は有刺鉄線製で、二重の柵の間に巡視用の通路がもうけられている。
![]() |
![]() |
ハングル文字ばかりが目に付く韓国内に於いて、この石塔には漢字が書かれていた。韓国ではこの書体”隷書体”がはやりか?。掛け軸などを見て回ったが、漢字で書かれているものは皆この書体だった。 | 自由の橋の隣にどう言う訳か、戦車、ヘリコプター、戦闘機などの展示があった。朝鮮動乱時の物かと、疑うくらい古い品。あちこちに銃痕と思われる傷や穴があちこちにあった。 |
11:30統一展望台
自由の橋から統一展望台に至る道の北側(イムジンガン側)には、有刺鉄線で囲われてた巡視路があり、その所々に監視台があって、銃を持った兵士が監視をしていた。統一展望台の入り口に関門があり、兵士が銃を肩にバス内を見回した上で入場を許可したのには驚いた。
統一展望台は臨津江:イムジンガン(南北朝鮮国境沿いに西に流れる)と漢江:ハンガン(ソウルから北上)が合流し、さらに西に流れる点にあり、見晴らしもよく、南北戦争の要衝であったと思われる。
外国人専用の反共宣伝施設で、展望室での説明は一昔前のもので、のように感じた。ソビエトが崩壊し、ロシアが合衆国と共同で宇宙開発をする時代になっているのにと感じた。ただ、北朝鮮はまだまだなにをしている国か分からないところがあり、不気味な点があるのは確かだが。
![]() |
![]() |
統一展望台より北朝鮮側を望む。右から左に向かってイムジンガンが流れ、それに手前からのハンガンが合流している。 |
北朝鮮側を望む。望遠鏡で見える範囲には真新しい3,4階建ての住宅が見られることを期待して建っている。韓国側からは拡声器で反共宣伝放送。どっちもどっち。 |
13:40 ソウルに帰り、レストランで食事。ビビンバ
14:30 土産物屋。
ブランド品のイミテーションか本物か分からないところが面白い。実はすべて偽物。偽物にもランクがあって、ある線以上は、絶対にまけないものもある。手入れに備えて、入り口にはいつも締め切り、マジックミラーのような入り口ガラス戸の中から店の外をうかがっていた。店内にはいるとさらに棚の後ろに隠した、密売場があり本物そっくりのものを売っていた。店内で撮影し、にらまれた。
![]() |
![]() |
隠し部屋内部。イミテーションの山 | ロッテホテル前のイルミネーション |
16:30〜19:00 シェラトン ウォーカー ヒルでの観劇
ショーを見ながらの食事というのは、リッチな気分は味わえたが、食べるのが忙しくて食べたような気がしなかった。その間にショーはどんどん進みどっちつかずになってしまった。
第一部で韓国伝統舞踊、太鼓などを、第二部でラスベガスのマジックショーなどを楽しんだ。米兵の慰問団みたいなショーではあったが、洗練されており、スマートな運びでちょっとお色気も有りで、日本では見られないような気がした。
ここでも、カメラを出したら即、手で蓋をされた。
![]() |
![]() |
シェラトンウォーカーヒル前の迎賓館。観劇の前に時間があったので、園内を散歩 | 迎賓館横の屋外展示。 |
19:00〜20:30 カジノ
同じシェラトン・ウォーカー・ヒル内のカジノに入った。500ウォンで出来るスロットマシンばかりをやっていたが、金が続かない。あっという間に50000ウォンすってしまった。他のカードゲームなんかはもっとレートが高いような気がした。とてもやる気にならない。待ち合わせの時間まで他の人のゲームを見ていたがつまらなかった。
22:00〜 ミョンドン周辺の散策と食事
一旦ホテルに帰った後、即外出。寒かったが、ホテルの南側の歓楽街へ繰り出した。ブランド品の店や露店のひやかしのはしごをした。その後、居酒屋風の店でビールを飲んで疲れを癒した。
第3日目 |
本来、この日の午後四時頃の便で帰る予定が、午前便に。せっかくここまで来たのに、実にもったいないが、仕方なく帰国の途に。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |