西宮市の社寺仏閣巡礼の足跡

2022/10/21   

 武庫 神呪寺 所在地       西宮市 甲山町25-1
高野山御室派  別格本山
新西国三十三箇所第21番
甲山大師の名で親しまれている神呪寺は、甲山の中腹にあり平安時代初期に淳和天皇の妃の如意尼が弘法大師を招いて開創したと伝えられる。
弘法大師が如意尼をモデルに彫ったという伝説のある木造如意輪観音坐像は国指定重要文化財で「日本三大如意輪」ともいわれ、毎年5月18日の公開帳には多くの人が訪れる。     from  HP

仁王門
中央に高屋根四脚門を構え左右に低屋根を段違いにかけた三間一戸八脚門の異形で、仁王門としては珍しい建物である。細部手法は禅宗様のやや濃厚な折衷様式よりなり、中央門と左右脇門との間に少しずつ相違が見られる。棟札によれば、文化元年(1804)に第63世寛眼和尚が建立したものである。ただし、基壇と門礎は先師・蓬眼和尚の築造にかかる。   from HP
慈母観世音菩薩
本堂
鐘楼
多宝塔
甲山稲荷大明神  白菊大明神  白瀧大明神
水子地蔵尊
不動堂





2022/10/21   

門戸厄神 松泰山東光寺 所在地       西宮市 門戸西町2番26号
高野山真言宗 本格本山
西国四十九薬師霊場 第20番   摂津国八十八ヶ所 第76番   西国愛染十七霊場 第2番
東光寺には厄除開運の厄神明王さまが祀られています。嵯峨天皇が41才の御厄年の時、愛染明王と不動明王が一体となり、あらゆる災厄を打ち払い、魔を退治する力を夢の中で感じ悟られました。
弘法大師にこの夢をお示しになると、大師は自ら白檀木に愛染明王と不動明王が一体となった明王像を3体、刻み祭られました。そのうち1体が東光寺に伝わる厄神明王さまです。その御姿が厄除の護符に描かれ天下に広まりました。           from  HP

男厄坂(表門に至る参道)
表門
子守地蔵尊
薬師堂
厄神堂
中楼門
大黒堂・愛染堂
延命塊(根)
祈願かえる

古くから蛙にお願いすると元にかえる、無事にかえる、栄えるといわれています。お金・絆・失せ物がかえるなど運気が上がり、何事も飛び越え飛躍できます。金運・恋愛・家庭円満・子宝成就などご祈願ください。
法輪杉
高野山奥之院で800年延命した大杉の年輪には歴史が刻まれています。年表に沿って年輪を眺めてゆくとその時代・時代に思いが馳せることが出来ます。合掌して時を偲んでください。
慶寿石
大師堂



2022/10/14   

廣田神社 (ひろたじんじゃ) 所在地       西宮市
廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、中世の貴族達は「西宮」と別称し、当社への参拝を「西宮」参拝、「西宮」下向と称しました。

大鳥居
拝殿
第一脇殿  住吉大神      第二脇殿  八幡大伸 
第三脇殿  諏訪健御名方大神 (すわたけみながたのおおかみ)    
第四脇殿  高皇産霊大神(たかみむすぶのおおかみ) 
末社 八坂神社  子安神社  春日神社 地神社  稲荷神社
末社  松尾神社
末社  斎殿(ときとの)神社      御祭神 葉山媛命
古くより廣田神社の東北御手洗川畔に鎮座せられたが、享保12年の遷座にあたり当社も境内西山に遷座し、 明治44年 末社松尾神社に合祀せられ、更にこの度の廣田神社本殿復興に際し一宇を設け祭祀を厳修することになった。


2022/10/14   

慈眼山法心寺 (ほうしんじ) 所在地       西宮市高木西町3-16
当山の縁起は、16661年(寛文元年)清誉阿闍梨が甲山神呪寺塔頭常住院の本尊十一面観世音菩薩を当地に迎え、祀ったのが始まりである。神呪寺の最盛期には70余坊が甍を並べていたが、天正年間(1573~92年に)織田信長に焼かれ、烏有となった焼け野原に、常住院本尊の十一面観音のみが灰燼の中で遺っていたと伝わる。
当初茅葺であった本堂も、1879年(明治12年)に木造瓦葺に建替えられ、120年余を経たが、先年の阪神淡路大震災で全壊の憂き目に遭った。 

山門
本堂
阪神大震災で大きな被害を受けて倒壊したが、その後7年以上かかり再建された。
行者堂(護摩堂)


2022/10/14   

日野神社 (ひのじんじゃ) 所在地       西宮市日野町2-51
周囲の森は「日野神社社叢」としてひょうごの森百選に選ばれている。

鳥居
周囲の森は「日野神社の森」として県の天然記念物、ひょうごの森百選に選ばれている。
拝殿
拝殿
本殿  

2019/1/25   
師子吼山 妙龍寺 (みょうりゅうじ) 所在地       西宮市甲陽園西山町15-38
寺の入口参道に立つ案内板。奥の看板には「西宮 大黒天 法華荒行堂」とあります。
墓地にお参りするという人と一緒に登ってゆきました。
石塔には達筆で書かれていましたが私には読めません。
寺の入口に立つ門。門は閉まっていましたが、右に見える戸から入れせてもらいました。
本堂です。本堂横に大黒天さんが祭られていました。
参道から少し登ったところの展望台から大阪湾を望みました。

2018/10/19   
岡太神社 (おかたじんじゃ) 所在地       西宮市小松南町2丁目2-8
          阪神甲子園駅    徒歩10分
狛犬は猪。
高潮や洪水等の災害を未然に静止(シシ)【防止】して五穀豊穣をもたらす猪(静止)打神事をされると伝えられ、この神事の妨げにならぬようにする風習がありました。 これは静止を猪にかけたもので、猪は大神の使わしめと言われています。             説明板より転載
チャペル風の社殿
山川正宣の歌碑
海近き(支)岡太の  も(毛)りの桜花  なみ(ミ)こ、も(元)とに(ニ) たち(多知)来とやみ(ミ)ん
文政七年 山川正宣之倭歌    平成二十七年晩夏洋美謹書 
恵美須宮
平重盛卿(左)  小松内府(右)  供養塔


2018/10/19   
素盞嗚神社 (すさのおじんじゃ) 所在地       西宮市甲子園町2-40
          阪神甲子園駅    徒歩10分

タイガース神社とか甲子園神社とか色々と呼ばれる甲子園球場横の神社。

鳥居
神社石塔と鳥居
本殿   後ろには甲子園球場の照明塔
星野仙一の「夢」なるボール
稲荷神社の鳥居が重なる
甲子園球場に架かる「執念」

2018/10/3   
海清寺 所在地       西宮市六湛寺町7-25
          阪神西宮駅北東  徒歩1分


西門
くすのき
三門
赤が映えるキレイな門ですが、通れません。
南天棒
本堂   「海清佛殿」との看板が掲げられている
鐘楼

鐘に記されてあった歌が気に入ったのでここに転載しました。

「 元気を出して力いっぱい スカッと 心が晴れる ありがとう ありがとう
  子も親も楽しい楽しい 春も良い天までとどけ

  元気を出して力いっぱい 知恵の鐘 赤の鐘 ありがとう ありがとう
  親も子も楽しい楽しい 夏も良い天までとどけ

  元気を出して力いっぱい 十三参りの 坊ちゃん嬢ちゃん ありがとう ありがとう
  子も親も楽しい楽しい 秋も良い天までとどけ

  元気を出して力いっぱい 座禅道場 大原を作ろう ありがとう ありがとう
  親も子も楽しい楽しい 冬も良い天までとどけ    」

スマホのgoogle Keepで音声入力したメモをアーカイブし、これをパソコンで開いてここに載せました。

2018/10/3   
西宮神社 所在地       西宮市社家町1-17
          阪神西宮駅南西  徒歩5分

由緒
全国のえびす神社の総本社として古くから崇敬され、平安時代には高倉上皇の幣帛を賜ったと伝えられている。
特に中世以降えびす様を福の神と崇める信仰が盛んとなり当地で発祥した人形操りや謡曲狂言などの芸能を通じて全国津々浦々にまでご神徳が広まっていった。
1月9,10,11の十日えびすには百万人以上の参拝者があり阪神間における最大の祭典として著名である。
                    案内説明板から 

表大門
1月10日朝6時にこの東大門が開かれ、230m離れた本殿までを「走り参り」し、「福男」を決める。
拝殿
祓所(はらえしょ)
お祭りの前に当所においてお祓いの神事を行います。毎年、春分秋分の日に皇居にお静りになる皇霊殿を遥拝するほか遠方の神々をここから遥拝します。        案内説明板から
手水舎
瑞寳橋
境内中央に配された神池に架かり、拝殿正面に位置する石造の太鼓橋て、六甲山産の花崗岩が用いられている。円弧状の桁石の上を十七等分して敷石を割り付け、青銅製の欄干を備えた丁寧な造り。
白鷹酒造の初代辰馬悦瘦氏により明治40年に奉納された。更に完全を期すく、令孫悦蔵氏が大正11年改修。橋長5.5m、幅員2.5m。国土と神社の歴史的景観に寄与しているとの基準から、弔成25年3月29日付で国の登録有形文化財に登録された。明治40年当時の製作者は、大阪鋳造船 鳥左兵衛、また橋台の銘板には、改鋳請負 大阪 今村久兵衛、改鋳主任 久野留之介、石工 長谷川太郎の名が刻まれている。              
                             案内説明板から
神池とその中の大きな島
神馬(しんめ)
昔、十日えびすの前夜にえびす様が市中を乗馬で巡回されるという伝承があり、その新馬の名残りを伝えているのがこの姿です。門前の市庭町の有志がこの保存に尽くされてきました。

南宮神社
当社は、西宮市太社町に鎮座する廣田神社の摂社で、「浜南町」とも称されました。平安時代には都の貴族が参詣し、「梁塵秘抄」には「浜の南宮は、如意や宝珠の玉を持ち」と歌われています。神功皇后が豊津浦で得られたという廣田神社の宝物「剣珠」は、もと南宮に納められていました。
                              案内説明板より
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