神戸市の社寺仏閣

2020/7/15

獨鈷山鏑射寺
(とっこさん かぶらいじ)
神戸市北区道場町生野1078-1
宗派  真言宗単立(しんごんしゅう たんりゅう)

住職・中村公隆さんは、著書が9冊以上。ホームページに法話や寺報のバックナンバーを掲載している。

道路沿いに建てられた案内板
これだけ立派な寺でしたが山門は在りませんでした。門の代わりの石塔。
護摩堂
護摩堂正面を飾る龍の透かし彫り。
客殿(慶湧殿)    御朱印をいただく納経所もここに在ります。
本堂
大師堂
鐘楼   工事中でした。
弁天堂ねの参道
弁天堂
三重塔
三重塔
大きな酒樽を加工して造られた建物(?)でしたが、何だかわかりませんでした。
緑に包まれた護摩堂と三重塔。紅葉の時期に訪れてみたいものです。
お寺の前の道路沿いの岩壁。
ここに登ってくる途中で見えた烏帽子岩やJR道場駅近くの不動岩などとともに鏑射山を形作る大きな岩の一部が外に顔を出しているのでしょう。

2020/5/21

八王山観世寺 神戸市北区道場町塩田2168
禅寺 曹洞宗
塩田八幡宮の西にあり、山の上の道ででも繋がっている。

山門
緑に囲まれた鐘楼
寺の上の墓地公園にあった大きくてい仏像。この仏立像の向かって右側に塩田八幡宮との連絡小道あり。

2020/3/27
有馬温泉の探遊

善福寺 禅寺 曹洞宗
行基が開基し仁西が再興したとされる。

山門
本堂
本堂前の満開のしだれ桜
樹齢200年を超える一重のしだれ桜はイトザクラと呼ばれ、神戸市民の木に指定されています。

温泉禅寺 禅寺 曹洞宗

温泉禅寺の本堂
温泉禅寺の鐘楼堂
温泉禅寺の本堂
温泉禅寺の本堂
行基上人の立像
温泉禅寺本堂前の桜が満開
極楽寺       浄土宗
594年、聖徳太子により創建されました。1996年、庫裏再建のため解体、発掘の結果、豊臣秀吉の湯山御殿跡の遺構が発見され、1997年神戸市の指定史跡第2号(伝豊太閤湯山御殿跡)に指定されました。                      案内説明板から
念仏寺
豊太閤の正室、北の政所(ねね)の別邸跡と伝えられます。庭が美しく「沙羅樹園」とよばれ樹齢が250年といわれる沙羅双樹の大樹があり6月下旬が見頃です。神戸七福神めぐりの一つ、寿老人が祀られています。毎年6月、花が咲く頃「沙羅の花と一弦琴の鑑賞会」が開かれます。   
                  from 有馬温泉観光協会公式サイト
湯泉神社(温泉神社) 鳥居
湯泉神社(温泉神社) 鳥居から続く参道
湯泉神社(温泉神社) 本殿
摂社:妙見神社鳥居
摂社:妙見神社



有馬天神社

鳥居   参道や階段も源泉から流れ出た湯(金泉)の錆色に染まっていた。
有馬天神社の社殿
天神泉源 
境内の地下約200mから常時98度の温泉が噴出しました。以来有馬温泉の豊かな湯量を支える代表的な泉源として、観光客の旅の疲れを癒し続けています。天神泉源の泉質は含鉄ナトリウム・塩化物強塩高温泉で、 神経痛や疲労回復・リウマチ・慢性消化器病・慢性婦人病などに利くそうです。この温泉は地中では無色透明ですが、湧き出して空気に触れると酸化して赤錆色に変わるとのことでした。
                      from 有馬温泉観光協会公式サイト



極楽源泉
兵衛向陽閣の庭園
兵衛向陽閣の庭園
兵衛向陽閣の水墨画
兵衛向陽閣の水墨画
兵衛向陽閣の書
兵衛向陽閣の書
兵衛向陽閣の書
兵衛向陽閣の書
兵衛向陽閣の水墨画
兵衛向陽閣の水墨画
兵衛向陽閣の水墨画
兵衛向陽閣の水墨画
兵衛向陽閣の水墨画



2022/1/7
有馬温泉の探遊 ver.2

有馬稲荷神社 舒明(じょめい)天皇、孝徳天皇(600年代)が有馬温泉に行幸されたとき、杉ヶ谷行宮の守護神として祀られたのが始まりです。射場山の中腹でこぶしの花をはじめ四季折々の花名所になっています。
              案内掲示板から

大鳥居
延々と続く階段参道
拝殿
神殿
神殿

>
滝本神社
 

>
有馬温泉湯本界隈
ねねの像
豊臣秀吉は有馬温泉を愛したことで有名。その由来から、ねねの像も此処にあります。
袂石(礫石)
昔、この北2里ほどのところにあった道場城の殿様が葦毛の馬に乗り重藤の弓と白羽の矢を持ち、有馬の山で鷹狩りをしたことがあった。山中で美しい乙女を怪しく思った殿様は乙女に向かって矢を放った。その途端に殿様は目がくらんで落馬してしまったという。

実は乙女は湯泉神社に祀られる熊野久須美(くまのくすみ)の女神であった。矢を放たれて逃げながら乙女は袂(たもと)に小石を入れて身構えたが、殿様が落馬して追って来られないことを知って、ここに袂の小石を捨てたとも、逃げながら乙女が殿様に小石を礫(つぶて)のように投げたともいう。その小石が時と共に大きくなって この巨石となった。袂(たもと)石とも礫(つぶて)石とも呼ばれるこの石には、女神の力が宿っているという。この言い伝えから江戸時代には葦毛の馬・重藤の弓・白羽の矢・鷹狩の姿で有馬を訪れると、神の怒りで山河が鳴動するほどの大嵐になると恐れられていた。

一説では、この巨石は有馬で流行った疫病を追い払おうと、大己貴(おおなむち)の神が六甲山から投げ降ろしたものなので、この石をさすった手で体を撫でると、病や怪我がいやされるとも信じられてきた。小石が年とともに巨石に成長するという信仰は日本各地にあり、「さざれ石の巌(いわお)となりて」という君が代の歌詞も同様の考えに基づいている。なお、『西摂大観』では乙女に矢を射たのは松永某(なにかし)と記されているが道場城主なので正しくは松原氏であろう。                   案内説明板から
亀の尾不動尊
 
  亀の尾滝    名前通り亀の尾っぽみたいに細い細い滝。滝と言いながら、滝の水は土管から供給されている。少し、興ざめ。



戻る トップページへ 練習日誌へ 記録集へ Maranicへ ぶどう栽培日誌へ 掲示板へ Linkへ