香美町の社寺仏閣巡礼の足跡

2020/3/1   
亀居山 大乗寺 (だいじょうじ)

高野山真言宗  西国49薬師霊場 第28番札所
所在地       兵庫県美方郡香美町香住区森860
天平17年(745年)に行基菩薩によって開かれた高野山真言宗のお寺です。
樹齢約1200年のクスの巨木を見上げながら石の階段を登り山門をくぐると、緑に囲まれた山門・客殿・本堂・薬師堂・鐘楼が姿をあらわします。江戸中期の画家円山応挙やその一門の画家たちの襖絵などがたくさんあるので「応挙寺」の名で親しまれております。円山応挙がまだ無名の頃、当時この寺の住職密蔵上人がその才能を見い出し、銀三貫目を与えたそうです。それをもとに江戸で学び名をなした応挙は、後に息子や弟子を連れてこの寺に戻り仏間他13余りの部屋の襖絵を描いたといわれています。
現在そのうちの165点が国の重要文化財に指定され、他に重要文化財の仏像3点もあります。   
                                          大乗寺ホームページから
当山は聖武天皇の御代天平17年(745年)行基菩薩自ら聖観世音菩薩立像を彫刻されておまつりになられたのが始まりです。一時衰退しましたが安永年間、密蔵法印が伽藍の再建に尽力され、弟子の密英上人が後を継がれ伽藍を完成されました。その際、客殿に円山応挙とその一門の手になる障壁画が描かれており、そのため応挙寺とも呼ばれ多くの文人雅客が参拝されています。西国四十九薬師霊場第二十八番札所でもあり、国立公園山陰海岸にあって、城崎温泉と湯村温泉の中間に位置し、町は県下一の漁港で松葉ガニあり、真に雅客清遊の適地です。
円山応挙と大乗寺
円山応挙(1733~1795)は、はじめ狩野派の石田幽汀に学び、その後、自然の写生に専念したり、西欧の遠近法等の手法を学び、彼独自の新しい画風としての写生画を完成しました。その写生画はあらゆる階層の人々に支持されて、ついに画壇の第一人者となり、円山派の祖として仰がれています。応挙が修行中の貧しいころ、当時の住職が、才能を見込んで学資を援助したことが縁で、客殿の建築の時に、ご恩返しとして、一門の弟子と共に大乗寺の障壁画を描きました。                       大乗寺で貰ったカタログから転載

山門
山門を内側より見た。
客殿正面に置かれた円山応挙の坐像
客殿裏の中庭
客殿裏の中庭
鐘楼堂
薬師堂
本堂
この社殿から出てきたお坊さんに聞いたところでは、本堂と言われたが、右下の板には観音堂と書かれていた。
水子地蔵尊
高野山正智院・・・・と書かれた鐘が山門横に置かれていた。
山門を覆う大木はクス。
門前に咲く寒桜。満開状態でした。

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