2019/11/18
新大阪〜名神高速道路〜北陸自動車道〜和倉温泉(泊)
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北陸自動車道 尼御前サービスエリアにある芭蕉の句碑 「むざんやな 兜の下の きりぎりす」 この句は松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の春、弟子の曽良を伴って「奥の細道」で有名な奥州、北陸の旅に出、その帰路の7月末小松の多太神社に詣でた際、源平の戦いに敗れた平家の老将、斉藤別当実盛が老いを悟られぬよう白髪を染めて壮烈な最期を遂げた時にかぶっていた兜に接して詠んだと伝えられております。 当尼御前サービスエリアの東方一帯は源平合戦で有名な篠原の古戦場跡で、その一角の柴山潟に面した片山津温泉入口近くに実盛の首を洗った首洗い池(片山津インターチェンジより南方約2キロメートル)があり、そのほとりにこの句碑がたてられております。また首洗い池より西へ徒歩約10分の場所には実盛のなきがらを 葬った実盛塚があります。 芭蕉は春3月に江戸深川を発って奥州路をまわって秋に大垣にたどりつくまでの約5ヶ月600里(2,400キロメートル)におよぶ道のりを踏破しました。芭蕉46才の時であります。 このほど芭蕉の奥州・北陸紀行から300年を迎えることとなりますが、奇しくも今年、北陸自動車道が全通いたします。 これを記念し、芭蕉ゆかりの地に近いここ尼御前サービスエリアに句碑を建立いたしました。 説明板から |
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千里浜なぎさドライブウェイに打ち寄せる波 バスの窓越しに撮った写真 |
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千里浜なぎさドライブウェイに打ち寄せる波 バスの窓越しに撮った写真 |
和倉温泉 源泉j公園 和倉温泉の由来: 今から、千二百年前(大同年間)薬師嶽の西、通称湯の谷で温泉が噴出していたと伝えられていたが、永承年間の自身で海中へ湯脈が変動した。その後、この知覚の現在地に白鷺が、人が沐浴するように過ごしていたのを見て、村人が確かめたところ温泉が湧き出ていた。江戸時代に、涌浦の人々がここに湯壷を設け、更に湯島を造成し小舟で渡り利用したのが今の 和倉温泉 の源です。和倉温泉は塩分が強く、温度も九四度と高く、湯量も豊富で日本を代表する温泉です。 説明用石塔から |
和倉温泉から見た能登島大橋 (能登半島と能登島を結ぶ) |
和倉温泉から見たツインブリッジ (能登半島と能登島を結ぶ) |
和倉温泉 能村登四郎の句碑 「春潮の 遠鳴る 能登を 母卿とす」 能村登四郎は日本を代表する俳人。読売新聞俳壇選者で、祖父は和倉の出身であり、俳誌「沖」創刊30周年を記念に、能登にちなんだ句を詠まれ、同氏の母なる地(和倉温泉)で建立する。 説明板から |
和倉温泉 和倉弁天社 |
和倉温泉 少比古那神社 その始めはつまびらかでないが、社伝では当初湯涌谷に温泉が湧き出したのは神の恵みだとして、その祠を建て祀ったが、地震で湯元が変わったので現在地に移転し元来湯の薬師堂であったのを明治28年11月現在の少比古那神社の社名にした。 案内説明板から |
和倉温泉 少比古那神社 |
2019/11/19
和倉温泉〜七尾湾〜ぼら待ちやぐら〜恋路海岸〜見附島〜聖域の岬〜
〜木ノ浦海域公園〜曽々木海岸・窓岩〜白米千枚田〜輪島(泊) 152.8km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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七尾湾 |
七尾湾 |
七尾湾岸道路からツインブリッジを望む。 |
日本最古の漁法 「ぼら待ちやぐら」 日本最古の漁法ともいわれ、高さ6メートルほどのやぐらの周囲25メートル四方に網を張りめぐらし、やぐらの上からボラの群れが網に入るのをじっと待つ。能登地域でも穴水湾固有の漁である。江戸時代から同湾一帯で盛んに行われ、 当時の最盛期には、1回で100匹前後がとれたという。しかし、ボラの減少や長い時間と労力を要する漁法であることから、戦後、次第に姿を消した。穴水町内浦の女性が漁を行っていたやぐらが一基だけ残り、観光客の人気を集めていたが、1996年の秋を最後に、 高齢や人手不足を理由に漁が断念された。ボラ待ちやぐらは、その後、穴水湾のシンボルとして人々に親しまれている。 近年、穴水町では、ボラ待ち漁を復活させる動きが相次いで起こっている 。同町の「新崎・志ヶ浦地区里海里山推進協議会」では、平成24年度(2011年)、地域づくりの一環として、地元の里山整備で生じたアテの間伐材を用いて、ボラ待ちやぐらを復活させ、 最後までボラ待ちやぐらで漁を続けていた女性のもとに通い、ボラの習性や漁の技術を学び、漁を再開した。また、穴水町では、各地での漁の再開にあわせ、町内でのボラ料理の提供の準備を始めている。 〜案内説明板から〜 |
恋路海岸 |
恋路海岸 弁天島 鍋乃と助三郎が夜な夜な会っていたとされる弁天島。干潮時には歩いて渡ることができます。 〜案内説明板から〜 |
恋路海岸 |
恋路海岸 波が穏やかな恋路海岸は伝説が残る海岸です。その昔、深い恋仲となった2人の若者、鍋乃と助三郎がいました。鍋乃に思いを寄せる恋仇の男の罠のため、助三郎は海の深みにはまって命を落としてしまいました。鍋乃も助三郎の後を追って海に身を投げ死んでしまうという悲しい恋の伝説から、 いつしかこの地が「恋路」と呼ばれるようになりました。この2人をしのぶモニュメントや鐘、銅像が設置されています。沖には弁天島が浮かび、恋路海岸から見附島(珠洲市)までの3.5キロの海岸線は、「えんむすビーチ」と呼ばれています。 〜案内説明板から〜 |
見附島 高さ28メートルの大きな岩がそびえ立ち、軍艦がこちらに向かってくるかのような大迫力! 能登のシンボルでもある「見附島」は、弘法大師が布教のために、佐渡から能登へと渡る際に発見したといわれている島です。「見つけた」というのが名前の由来とのことですが、先端部分が突き出たその独特の見た目から別名「軍艦島」とも呼ばれ親しまれています。 〜案内説明板から〜 |
見附島 |
見附島 |
見附島 |
見附島と空海 弘法大師・空海が唐の国に渡り、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修行され三国伝来の伝承者として認められ金胎両部の灌頂をうけ密教伝来の三杵を授けられた。等の僧達はその三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。その時、空海は東方を望まれ「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。帰国された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られたとき、波の音とともに法華経を誦する声が聞こえたので島を頼りに着岸された。そこで村人たちの案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ”五鈷杵”が光り輝き白夜法華経を唱えていた。空海は深くお喜びになりここに一寺を創建され吼木山法住寺と名付けられた。そして”三鈷杵”は高野山の松の樹に、”独鈷杵”は佐渡の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。それより島を見附島と呼び縁結びの神とともに小社を安置し4月18日を祭日とし船を繰り出し島上に登り祝詞を奉じて来た。 しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に往時を偲ぶ雄姿はなく島上の社も崩壊したまま今日に到っています。 平成12年7月 見附の社 案内説明板から |
聖域の岬 から見下ろした磯に打ち付ける波 |
聖域の岬 |
聖域の岬 |
聖域の岬 青の洞窟入口の入江 |
青の洞窟へ続くドーム状の道 赤色にライトアップされていました。 |
青の洞窟 |
青の洞窟 |
青の洞窟 |
聖域の岬 空中展望台スカイバード |
空中展望台スカイバードから眼下に見えるのは「ランプの宿」 高そうです。もちろん、値段がです。 |
木ノ浦海域公園 |
木ノ浦海域公園 |
木ノ浦海域公園 |
木ノ浦海域公園 |
木ノ浦海域公園 |
曽々木海岸 窓岩 |
曽々木海岸 窓岩 海岸に広がるのは「波の花」 このアワの正体はプランクトンです。海中のプランクトンや海藻類の粘液が、極寒の日本海の荒波にもまれ、岩に打ちつけられて白い波の花となり、海に浮かぶのです。アワは発生してすぐは白くてきれいなのですが、時間が経つと、岩に付着している細かい砂粒などが混ざって、徐々に茶色っぽくなります。まるで、真っ白い生クリームに、コーヒー味のクリームが混ざっていくような感じです。 |
白米千枚田(しらよねせんまいだ) 日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景は、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、奥能登を代表する観光スポットとして親しまれています。水田一面あたりの面積は約18平方メートルと狭小で約4ヘクタールの範囲に1004枚の典型的な棚田風景が展開し、古くより「田植えしたのが九百九十九枚あとの一枚蓑の下」「越中富山は田どころなれど能登は一枚千枚田」等の古謡が唄い継がれています。 |
白米千枚田 |
2019/11/20
輪島〜大沢・間垣の里〜男女滝〜千代「泣き砂」〜能登中島〜和倉温泉
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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県道38号線を南下。 |
県道38号線を南下。 |
「間垣の里」 辺りの浜 |
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日本海の強風が生んだまち並み。 「間垣の里」 聞き慣れない「間垣」とは、長さ約3メートルのニガ竹という細い竹をびっしりと隙間なく並べてつくった垣根のこと。 日本海から吹き付ける冬の風から家屋を守るためのもので、冬は暖かく、夏は陽射しを遮るためとても涼しいのだとか。奥能登の不思議な町並みは、厳しい自然と共存してきた先人たちの生活の知恵がもたらしたものだったのです。 |
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日本海の強風が生んだまち並み。 「間垣の里」 |
男女滝(なめたき) 県指定名勝の男女滝は、向かって左側がゆるやかな流れが連なる「女滝」(本滝)、右側が急傾斜で流れ落ちる「男滝」(支流)で、夫婦のように寄り添って一本の流れになる美しい滝です。 |
男女滝 滝すべりを楽しめると書かれていました。水量豊富できれいな滝でした。 |
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千代 「泣き砂」 の浜 |
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