熊野古道 小辺路  

小辺路は弘法大師によって開かれた密教の聖地である高野山と、熊野三山の一角である熊野本宮大社とを結ぶ道である。熊野古道の中では、起点から熊野本宮大社までを最短距離(約70キロメートル)で結び、奥高野から果無山脈にかけての紀伊山地西部の東西方向に走向する地質構造を縦断してゆく。 そのため、大峯奥駈道を除けば最も厳しいルートである, [Wikipedia より]

紀伊半島中央部を南北に通り、「熊野三山」と「高野山」の両霊場を最短距離で結ぶ経路である。途中には標高1000m以上の峠を三度も超えなければならず、熊野参詣道の中でも険しい経路の一つである。この道は、参詣者や商人といった人々が主として利用した、 いわゆる庶民の道として中世頃から利用された道である。[大滝集落の案内板より]



一日目    2016年5月14日(土)   高野山   〜大股  
二日目    2016年5月15日(日)   大股     〜三浦口 
三日目    2016年5月16日(月)   三浦口   〜十津川温泉 
四日目    2016年5月17日(火)   十津川温泉〜熊野本宮大社 



4日目2016/05/17   十津川温泉〜八木尾 〜 熊野本宮大社    16 km   

十津川温泉の宿「田花館」をまだ薄暗い4:53に出発。

果無峠登山口5:18━━━━果無峠7:13━━━━八木尾バス停8:30━━━━熊野本宮大社9:42

明光バス  本宮大社前12:17発 ⇒⇒⇒⇒紀伊田辺駅 13:50着

JR 紀伊田辺14:24────御坊15:08 15:33────和歌山16:36  16:39────大阪18:13 18:24───三田19:05

 

       
5:18 果無(はてなし)峠への登山口。
ここから急な石畳道を登っていきます。
5:35 登山道から曲りくねった十津川を望む。 5:41 果無集落内の道標。左下から右上に階段を上がっていったが、左上方向からの上り道もあった。国道168号線からの登山口を登ってくると順に西国33番、32番、31番の観音があるらしい。 5:43 果無集落内の石畳道
5:54 果無集落から果無峠に向けての登山口。 5:58 西国33観音のうちの29番観音とある。この近くから雨が降り出した。折畳み傘を手に歩いた。 6:16西国33観音が次々と現れる。25番か26番か。傘を手に、ガスった中を登っていった。 6:18 天水田
この辺りはかっての水田跡でここから約300m峠よりにあった「山口茶屋」の住人が雨水だけを頼りにして稲作をしたといわれている「天水田跡」である。水は効率的に使われ、水田はこの辺りに数枚あった。    〜説明板より〜
       
山口茶屋跡
『熊野めぐり』に「40丁目茶屋あり」、『熊野案内記』に「やなぎ本より壱里上り、山口茶屋一軒有り」と記されている茶屋跡である。
東西には、石垣が残っており、東側に屋敷林の杉の巨木が数本有り防風林と思われる。この近くには、石造地蔵菩薩立像や第24番中山寺十一面観世菩薩像が道中を見守ってくれている。      〜説明板より〜
6:48 果無観音堂
堂内には、中央が石造丸彫り聖観世音菩薩座像、左が舟形光背石造半肉彫り十一面千手観世音菩薩座像、右が火焔後背をもつ石造肉厚彫不動明王座像が祀られている。この付近には、通行の安全を祈願したものか、古くから観世音菩薩が祀られていたようである。
毎年旧暦の三月十八日を祭日としては、供養を続けており田辺市本宮町あたりからも参詣に登山されるという。     〜説明板より〜
7:13 果無峠(標高1114m)通過。 7:35 花折茶屋跡付近か?
シャクナゲが美しかった。
       
7:39 二十丁石 7:47 三十丁石付近から本宮町を望む。 7:56 濁った、土色の熊野川。瀞峡へと続く熊野川。泥色の川が見える。 8:22 林道出合。
       
九鬼ケ口吊橋。ここで小辺路と中辺路とが合流する。下の道が歩いてきた小辺路。吊橋は中辺路。合流して左に進めばゴールの熊野本宮大社。 九鬼ケ口関所を通り抜けて進むと熊野本宮大社。 道標。右方向は伏拝王子1.2km--中辺路--
左方向は熊野古道小辺路  高野へ78km
左上に熊野本宮大社2.1kmとある。
三軒茶屋跡の石標古い道標。
右かうやみち  左きみい寺みち。

右は高野道(小辺路を通って)
左は紀三井寺道(紀伊路を通って)  
       
小辺路と中辺路とが重なっているが、道標はすべて中辺路のものが書かれていた。 祓殿王子(はらいどおうじ)跡。

前世と現世に積もった汚れを祓い清め、日本第一の霊験をもって知られる熊野三所権現の神威康にすがって、祈願し、生命力を蘇らせることを目的とする熊野参詣では、禊ぎや祓いが重視された。  中でもこの王子での祓いは、熊野本宮参詣の前に行うもので、これまでの道中での祓いにも増して重要であった。 天仁二年(1109)に貴族・藤原宗忠(1062〜1141)は、水呑王子に参拝したのち野路をたどり、祓いを済ませてから本宮の宿所に入って、 翌日1の参拝に備えた。  また、およそ百年後の建仁元年(1201)に、和歌の講師として熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162〜1241)は、この王子近くの地祓堂で後鳥羽上皇の一行をち、本宮の神前に向かった。   〜 説明板より 〜 
9:42 熊野本宮大社の裏鳥居に到着。 9:45 熊野本宮大社 神門
  
9:47 熊野本宮大社 奥が西御前(結宮・第一殿)、手前が中御前(結宮・第二殿)。 9:48  秩父宮勢津子妃殿下 御筆の石碑

「咲きにほふ 花のけしきをみるからに 神のこころぞ そらにそらにしらるヽ」 早春、白河上皇さま熊野御幸の折 御宝前にて御詠み給うた御歌です。      〜 説明板より 〜
10:01 熊野本宮大社 正面の大鳥居。 12:47 熊野本宮大社前12:17発のバスで紀伊田辺駅に向かった。途中の「なかへち美術館」でトイレ休憩。紀伊山地をバックに。



3日目2016/05/16   伯母子岳登山口〜三浦口 〜 十津川温泉    21km   
 

       
6:13 これから出発。農家民宿”政所(まんどころ)”の門で。この大きな門は県有形文化財とか。午後からの天候悪化に備えて早めの出発にした。 6:34 以前は民家があったのか?。石垣が残る前の石畳道を登ってゆく。  6:48  吉村家跡防風林。
一帯の杉の巨木は防風林と思われ、幹周り4〜8mで樹齢500年前後と推定される。ここは吉村家の屋敷跡で、旅籠も営んでおり昭和23年頃まで居住していたと言う。この辺までが往時の三浦の集落範囲と思われるが、 北に伯母子峠、南に三浦峠をひかえた位置的条件から小規模ながら宿場的機能を果たしていたものと考えられる。         〜説明板より〜      
6:48  吉村家跡防風林。

案内板にあるような巨木は見当たらなかった。屋敷跡にしては傾斜しており、旅籠跡とは考えにくいが、・・・・・
       
7:18 三十丁の水
「丁」は昔の長さの単位で「町」とも書く。1丁は109mを表すので、30丁は3270mとなる。
三浦口からの凡その距離と一致する。
7:50 三浦峠の東屋(休憩所)。登山道は林道「川津今西線」と直交してる。 8:05 古矢倉跡。
 「熊野めぐり」に「下り道よし、三十六丁れば茶店二軒有」、また『熊野道中記』には「当所一軒矢倉迄ツマ下り計」と記されておりこの辺りの状況を記している。屋敷跡の西側に天保十年と配された地蔵菩薩座像があり、 その前に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱がある。当時の戸数は一軒で、屋号を「古矢倉」といい茶屋兼旅籠があったが昭和10年には廃屋となった。
古矢倉には恐ろしい伝説がある。むかし、古矢倉坊主なる者がいたが、屋敷に吊り天井を仕込み、旅人を殺害して軍資金を作りヽ大阪の陣に出たといわれている。     〜案内板より〜
8:16 出店跡。

ここは、出店といい、大字今西の小字である。かっては、茶店・旅籠があったが、明治43年に廃屋となった。昭和20年代の末頃までは、釜中(今西の小字)の人が遠方の谷から水路を作り耕作したと言われた水田がこの周辺にも何枚もあって、田園風景だったと言う。                       〜案内板より〜
       
8:36 五輪の塔 8:36 五輪の塔 8:41 紀伊山脈は雨雲に覆われ、いつ降り出すか不気味。 9:07 矢倉観音堂
       
この観音堂は、昭和三〇年に建て替えられたもので堂内の中央に如意観音菩薩座像、左に地蔵菩薩立像、右に観音菩薩らしき三体の石仏像が安置されている。如意輪観音菩薩座像は見るからに新しいが、台石は別時代のもので、 「大坂天満市場山家屋彌兵葡」と刻まれている。また、左の地蔵菩薩立像り立像は、亨保十年(1725)の銘が見られる。耳を患う人か願をかけ、地蔵さんの頭を撫でると治るといわれている。観音堂では、旧正月一月一八日に地元集落(矢倉等)にてお祭りをしている。     〜案内板より〜 9:20 林道「西中大谷線」に出てきた。 9:30 歩いている間にすれちがった車は一台もなかった。
林道と言っても木を切り出しても採算に合わないので林業に使うことはない。もったいない。
9:30 曲りくねった林道をショートカットする登山道からの出口。
11:20 昴の郷 に到着。
直後から雨が本降りとなった。朝早くに民宿を出たのが正解だった。

12:00になるのを待ってここの温泉に入って、十津川温泉を堪能した。       
9:56 川合神社


十津川温泉まで西中バス停から昴の郷まで7.3kmは国道425号線を歩いたが、国道と言ってもセンターラインも無い細い道。
途中で乗合バスが追い抜く際にバスの運転手が話しかけてきた。乗客はなく、乗って欲しそうだったが丁重にお断りした。せっかく此処まで歩いてきたのに、全ルート踏破の夢は壊したくないと。
 17:46 高岩寺
高岩寺は、明治初年、廃仏毀釈により廃寺となったが、山門だけは残された。山門は切妻造りの四脚門、屋根は瓦葺き、柱は円柱、礎石も円形である。この山門は、寺跡が学制発布により平谷小学校となり、略和40年(1965) 学校統合により廃校となるまで校門として使用され親しまれてきた。徹底した廃仏毀釈により、村内50有余の寺のことごとくが取り壊わされた中で、今日まで保存されたこの山門は、極めて貴重な存在である。 〜案内板より〜 



2日目2016/05/15   大股 〜 伯母子岳登山口    15.4km   
 

       
7:44 民宿の主人に送ってもらった登山口で。 7:46 川原樋川に架かる橋を渡ると其処からは急峻な坂道となる。 7:52 熊野杉の木立から見えるのは紀伊山脈。見える道路は昨夜泊まった民宿、さらに上流には昨日汗を流した温泉へと続く。 8:21 萱小屋跡。
名前では跡とあるが、築後もまだ新しい小屋が完備していた。
       
8:21 萱小屋跡。
野迫川村史では、「萱小屋にもかって数戸の茶屋があったが現在は一戸だけ残っている。」とあり、昭和61年当時の模様を記した報告書によると、 「萱小屋はニ棟が残る廃屋で張り出した岡の平坦地にある。昔は茶店があったようだ。田園の跡らしいところもある。裏手に墓地があるが墓石はない。」と無住になったことが記されている。 地元古老の話では往時五軒の戸数があったが、三軒が火事で消失。最後に残った家は、三十年くらい前まで居住していたそうである。 その当時は、主屋、牛小屋、薪小屋、新小屋、納屋等があり、田の面積は約四反、他に畑もあったという。  平成27年11月 建設  野迫川村     〜 案内板より
8:49 伯母子岳へと続く山道。木洩れ陽が優しい。 8:51 夏虫山(標高1348.5m)への分岐。急な坂が続く。緑の中を伯母子岳へ向かう。 9:23 伯母子岳山頂(標高1344m)から大峯の山々を望むが、霞の中に隠れている。黄砂かも?

360度、周りは山そして山。人家も道も鉄塔・アンテナも見えない。
       
9:44 伯母子岳山頂から尾根筋を一気に下り降りてきた所が伯母子峠。尾根道から見下ろしているが、左は萱小屋からの巻道、右はこれから行く上西家跡方面。ここのトイレ、小屋とも外見は綺麗だが、中は汚い。小用で入ったが諦めて、雉打ちに変更。 9:44 正面の尾根道を降ってきて左手方面に向かった。
世界遺産登録のお陰か? 案内板はよく整備されていて助かった。GPSを出すまでもなかった。
10:17 谷筋に残る水害の跡。崖崩れで迂回路が何処彼処に。 10:26 旅籠・上西家跡。
1682年の「熊野案内記」にも記されていることから、江戸初期には街道上の旅籠として存在していたものと考えられる。地元古老によると、昭和9年頃まで人が住んでいたという。
       
旅籠・上西のむかし  『十津川郷の童話』から
 
 その昔、高野からこの伯母子峠を越えて馬が米やさかなをこの十津川へ運んだわけだ。早い朝が明けると、伯母子の方からチリンチリンと鈴の音が響いて、 二頭も三頭もの馬が宵中にいっぱい荷を積んで下ってきたものじゃった。馬子たちはヽ上西で一服すると下の五百瀬へ下りていくのじゃった。そして、その帰りも馬子たちはお茶を飲んで行ったものじゃった。
 高野詣での人たちが行き来していたが、毎年、春から夏にかけては、巡礼さんがおおぜい泊まり、夜の更けるまで御詠歌が止まず、それはにぎやかじゃった。  上西では、牛を二頭も飼っていたし、家の周りは広い畑で、野菜もたくさん採っていた。上西のナンキンとジャガイモは北海道にも負けんぐらい旨いと、客の坪判じゃった。   〜案内板より〜
11:04 水ケ元茶屋跡

『熊野案内記』には「上西より水が本へ半里、家有。弘法の封じ水有、故に水が本と云」と記されており、この水を呑むと
 「心能ナラン、恩ナラン、命延ナラン、恩ヲ知ナラン」
と立札に書かれていた。 
この所に老女が一人住んでいた。しかし、その姿や形は異様で頭髪は赤や白色が混じっていてたいそう乱れ、顔は青黒く大きなしわがあり、目は大きく光って歯は白く、その姿を見た人は恐怖を覚えた。年を尋ねると六十歳ともいい、 またある人には七十とも八十とも恐ろしい声で答えた。人のうわさ話で作られた山姥というものはこのようなものであったのであろう。      〜案内板より〜
11:26
急な下り坂が続く。

余り間伐が行き届かず細い細い杉が此処彼処に。それでも木洩れ陽が地面まで届いている山道は良いが谷の杉林には陽が届かず、大雨が降ればすぐに流されてしまう。
11:45 

「熊野めぐり」に『待平水ヶ本より半里、此所は只一軒家也』と記されている。
また『吉野郡名山図志』には、「土俗云く大塔宮十津川より都ヘ上りたまふ時、村上彦四郎、遥かの後にさがりしを、この地にて持ちたまふゆゑに、待平と云ふ。杉の木の下に、小祠有り。大塔宮の腰懸石と云ふ。」と名の由来が記されている。
ちなみに大塔宮の腰掛石は見当たらない。屋敷跡については、『熊野案内記』には、「寺一軒有」と記され、他の史料によると茶店ありとの記述がある。地元古老の話では、関所跡との伝承があるという。 〜案内板より〜
       
11:20 農家民宿に着いてしまった。既に、インターネットで支払いが済んでいたので、ここでドボン。
民宿のお婆さんには次まで行けたのにと言われたが、・・・・

13:47 南朝史跡 腰抜田 石碑
南北朝の頃、大塔宮護良親王は北朝方の手を逃れ一時、十津川郷に難を避けられ五百瀬を通過されようとした時、五百瀬の荘司に行手をさえぎられた。
 荘司は宮の通行を認める代わりに「家来か錦の御旗を置いていけ」と要求した。宮は大事な家来を置いていくわけにはいかないと、止むなく錦の御旗を置いて通行を許された。暫くして宮の一行に遅れた家来の村上彦四郎が荘司の館を通りかかり、 錦の御旗のを見付け大いに怒り、荘司の家来を水田の中に投けとばし、錦の御旗を奪い返して宮の後を追った。
その時投げ飛ばされた家来が腰を抜かしたのでその田を腰抜田というようになった。腰抜田は明治の大水害によって埋没し、現在は歴史を秘めたまま川底に眠っている。             〜案内板より〜
14:01 船渡橋は吊橋。グレーチングが敷いてあるが節約か?所々間隔が広く空いており、下の川面が見えて怖かった。

明日はこの橋を渡って十津川温泉に向かう。
14:47 大水害の爪痕。
上に広がる杉林の杉は爪楊枝のように細い。
16:49 夕食。随分早く用意してもらった。
明るいうちに、既に風呂も入っていたのでゆっくりと食した。
散歩で近所をウロツイた時にビールも飲んでいたのでここではお茶で我慢。
鮎の塩焼きと手作りコンニャクの刺し身。蕎麦、サラダ、などなど田舎のお婆さんの手作り料理が並んだ。マナーとして全てを平らげたが少し食べ過ぎだった。



1日目2016/05/14   高野山 〜 大股   16.8km   


 行き      JR三田 4:58発→大阪5:44着 5:57発→JR・新今宮 6:20着 南海・新今宮 6:32発→南海・橋本 7:20着 7:23発 →極楽橋 8:02着 8:06発 →高野山 8:11着  南海りんかんバス8:15発→千手院橋バス停 8:29着

8:02 極楽駅でこのケーブルカーに乗り換えて高野山駅を目指す。 8:34 千手院橋バス停でバスを下り、少しだけ付近を散策した。成福院の入口。 8:58 小辺路の旅の始まり。小さな道標を見落とし、真っ直ぐ金剛三昧院に来てしまった。言い訳しながら入り口門から、中の伽藍を撮った。入場料は当然、払っていない。 9:17 大滝口女人堂跡。
上段に示す高野山方面から歩いてきて、下段に示す通り「大滝から熊野本宮」を目指します。
9:17 高野山女人道は高野山の外周をたどる道。女人道と少しだけ重なっていたが、ここでお別れ。 9:17 大滝口のスタンプ・ポスト。 9:52 薄峠。標高1012m。  10:08 丁石。「熊野本宮より17里」と刻まれた丁石。
10:09 丁石あたりの山道。木洩れ陽が優しい。 10:17 大滝手前の集落跡。棚田状の水田跡にはまだ新しい杉。 10:24 御殿川。標高680mまで下ってきた。橋を渡れば、大滝集落。 10:24 御殿川(おどかわ)。左側の薄峠から来て右の大滝に向かった。
10:24 御殿川。 10:30 分岐に経つ道標。高野山を示す左下方向から来て鋭角に曲がり左上方向の大滝集落に向かう。   10:30 右から登ってきて、鋭角に曲がる。登り返しがきつい。この道を上り詰めれば大滝集落に着く。 10:40 大滝集落の休憩所とスタンプ・ポスト。
10:58 紀伊山地を眺めながら登山道を急ぐ。 11:09 高野山龍神スカイラインに合流した。しばらくは車道を歩く。アスファルト道は照り返しがキツく、歩きにくい。 11:31 水ケ峰入り口。右上に上がる山道が見えています。 12:36 遠く紀伊山地を望む。
14:22 宿舎にザックを置き、タオルだけを持って上流に向かい、ホテルのせ川の温泉に来た。無色透明のアルカリ性泉。天王寺から来たと言う時計屋店主と暫く話した。 14:26 ホテル前の神社。 宿舎前の川樋原川。あまご釣りで有名。民宿前でテントを張っていた釣り人は早朝から糸を垂れていた。同宿の夫婦も釣りが趣味とかで話しかけてきた。 民宿かわらび荘。アマゴ焼きを出されたが、それほど旨いとは思わなかった。



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