西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


19番革堂 行願寺から29番 青葉山 松尾寺をめざして


2017/4/13   行願寺⇒叡山電鉄・八瀬比叡山口駅   8.1km

  

下御霊(しもごりょう)神社。  鳥居と神門。

社伝によれば、大同二年(809)不運のうちに亡くなった 伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の霊をなだめる ために、承和六年(839)に創建されたといわれている。祭神は、 後に、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、藤原広嗣、橘逸勢、 文屋宮田麿、火雷天神を加えて八所御霊としている。
 当初、出雲路(上京区)にあり、御霊神社の南にあったことから 下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、以後、社地を転々 とし、天正十八年(1590)豊臣秀吉の都市整備により当地に 移転してきた。古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間 (1716〜36)霊元天皇は当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている。
 本殿は、寛政三年(1791)仮皇居の内侍所を移建したもので、 表門は、旧建礼門を移したものといわれている。
 境内の垂加社には、江戸時代の国学者、山崎闇斎を祀る。          〜案内板
鴨川を渡りる。右にみえるのは鴨川公園。
高野川を渡り、高野川左岸を上流に向かって進む。ちょうど、ソメイヨシノは満開。
高野川を上流に向かって歩き、川幅も狭まり流れも急になってきた。
瑠璃光院。
この日は閉っていたが2日後の4月15日から2ヶ月間春の特別拝観をするとホームページに書いてあった。

瑠璃光院は幕末・明治の公卿で政治家でもあった三条実美ゆかりの庵を改築した東本願寺系のお寺です。非公開のお寺さんですが、春と秋と一時のみ特別公開されます。公開時に兎に角、並ぶことと、拝観料が2,000円と、京都最高値なことでも有名です。
アンティークな駅の看板。叡山電鉄の八瀬比叡山口駅。



八瀬比叡山口 〜 小浜駅  間は  鯖街道  と  重なるのでココに算入した
        
一日目    2016年7月1日(金)   京都・八瀬比叡山口〜大原〜途中峠〜花折峠〜葛川〜朽木   42.0km 
二日目    2016年7月2日(土)   朽木〜保坂〜熊川宿〜三宅〜天徳寺〜小浜             40.0km

 


2017/4/24  JR小浜駅 〜 松尾寺     29.0 km

  朝 4:50 軽トラックで出発。 約80km。西舞鶴のホテルに車を預け、JRで 8:14小浜着。

8:24 本境寺    福井県小浜市にある日蓮宗の本山寺院。法華宗真門流本山。
1504年 廻船問屋、組屋氏などが大壇越(おおだんおつ)となって創建されました。戦乱の都を逃れた法華宗の貴重な仏画が伝わるとともに、北方の産物を運び入れる際の宿所ともなっていた寺院です。中世、海と都をつなぐ小浜の様相を良好に示しています。           〜案内板より
8:26 浄土宗 誓願寺 本堂
8:26 浄土宗 誓願寺 山門
8:27 懸社 八幡神社
創建は、奈良時代の神護景雲3年(769年)とされる。江戸時代、若狭の国学者伴信友は諸文献を研究し、その著書『八幡考』で、『続日本紀』の「神護景雲四年、勅使参向鹿毛の馬奉納」とあるの当社に比定している。
御祭神は、応神天皇・神功皇后・宗像三女神(多紀理比売神・多紀都比売神・市伎島比売神)。若狭国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮の一つと考えられる。
8:29 空印寺     福井県小浜市小浜男山にある曹洞宗の寺院。山号は建康山。本尊は馬頭観音。

若狭守護武田元光が大永2年(1522年)後瀬山城を築き守護館も当時長源寺のあった後瀬山城の山麓に移した。 現在の空印寺はこの敷地跡にある。水堀を廻らせた堅固な若狭守護館は、戦国時代以降も麓の城として利用され織田信長の重臣である丹羽長秀や豊臣秀吉の親族である浅野長政、木下勝俊なども平時はこの地に住した。
京極高次が関ヶ原の戦いの論功行賞により若狭国主となり、同館の主となった。高次没後、息子の京極忠高が旧地を京極高次の牌所とし泰雲寺を建立したが、京極家は寛永11年(1634年)松江へ転封となる。
その後小浜藩主酒井家の菩提寺として、酒井忠勝により父酒井忠利の霊骨を移して建康寺と称され、二代藩主酒井忠直が酒井忠勝の七回忌法要を執り行うに当り寛文8年(1688年)伽藍を増築し空印寺となった。
                            〜Wikipedia
8:34 日蓮宗 後瀬山・妙興寺
寺伝によれば鎌倉時代中期、日蓮上人の高弟日像上人(1269〜1342)の創建と伝え、京都妙顕寺派の中本山である。その後、当寺に残る市内最古の禁制状に見られる通り、武田氏に庇護され、京極氏にも厚く保護された由緒ある寺である。
8:38 常高寺         臨済宗妙心寺派の寺院。山号は凌霄山。
浅井三姉妹【 「戦国悲劇の三姉妹」として有名な、淀殿(秀吉の側室、秀頼を生んで大坂城の実権を握った)、お初の方(京極高次の正室、後の常高院)、お江の方(徳川二代将軍秀忠の正室、家光・千姫の母)】の次女「初」、京極高次の正室(常高院)の祈願により建立され、常高院の墓所およびゆかりの文化財がある。
8:40 正法寺(しょうほうじ) 本堂。  ここに如意輪観世音菩薩は祀られている。
鎌倉時代(13世紀)の貴重な仏像で、銅造、思惟半跏、57.0cm、重量36.4kg。全体的に塩蝕があり、青く変色が見られるそうである。右手の肘を右ひざに置き、指を軽く頬にあて右足を左ひざに重ね、はすの花を踏むお姿は、端正で穏やか、ふくよか、若々しさがみなぎって気品に富むと評価されている。
実物はその写真より小さいそうである。全体的に丁寧な作りで、飛鳥、奈良朝風の忠実な模古作とされる。
容姿の整い方がさわやかで、若狭地方の制作とは考えがたいとされている。
9:03 若狭湾岸に沿って走る国道27号線を西進中。
9:17 JR小浜線・勢浜(せいはま)駅。東西に走る単線・単式ホームを西から東方面(小浜方向)を望む。
咲き始めのツツジに囲まれた長閑な駅。
10:37 長井浜海水浴場あたりの海。少し緑かかっているのが気になったが、波はなく静か。
10:59 こども家族館。 これも電源三法交付金で出来たハコモノ。
10:59 大飯原子力発電所に向かう道路と青戸大橋。
11:28 おおい町総合運動公園・プレーパーク大飯の建物群。ハコモノだらけ。人影は見受けない。
11:38 大学卒業後10年間努めた会社の工場。こんな所になんの目的で作ったか。原発関係の容器、タンク、架台、橋梁関係か?
若狭たかはまエルどらんど。  これも関西電力の原発地元還元テーマパーク。
これから向かう松尾寺はこの三角形の山:青葉山の中腹にある。
若狭湾の海水浴場。シーズンオフなのに打ち上げられたゴミもなく綺麗。
シバサクラが美しい。
伊弉諾(いざなぎ)神社           福井県大飯郡おおい町福谷字宮前 48-7

天章周文ゆかりの寺跡
この伊射奈伎神社は、昔「福祥山隆興寺天満天神」と称して佐分郷十七カ村の大社であった。
この社前に「善楽寺」という真言宗の別当寺があって、ここに周文が三年ほど身を寄せていたと伝えられている。この善楽寺において大願を抱いて五部大乗経二〇〇巻を写経し、天満天神に奉納した。
その写経の末葉には、「時に応永13年丙戌5月22日若州大飯郡佐分郷善楽寺に於いて大願主周文謹んでこれを書す」と、奥付してある。
周文は、室町時代の十五世紀前半に活躍した画僧で、字は天章、号は越渓。彼独特の和風的な水墨画を大成して、後には足利幕府の御用絵師どなった名匠で、こうした画風を雪舟・宗湛・元信等多くの作家が継承した。
                   大飯町教育委員会                 社頭掲示板
伊弉諾(いざなぎ)神社
松尾寺に向かって青葉山を登ってゆく途中にあった大きな木。
途中で猿の群れに何回も出会った。総計30匹ほどの猿は、逃げるわけではなくじっとコチラを伺っていた。柵があったが猿には何処まで有効か。


29番 青葉山 松尾寺

御詠歌     そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに 松の尾の寺
宗派       真言宗醍醐派
開基       威光上人
ご本尊      馬頭観世音菩薩
創建       和銅元(708)年
所在地      〒625-0010 京都府舞鶴市松尾532



鐘堂。小振りな鐘堂なので壁板を貫通して鐘打ち棒が吊り下げられている。
本堂
本堂
山門。
山門に仁王の立像はなく写真が飾ってあったのは、寂しかった。


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