新西国霊場とは 大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。 近畿2府4県に散らばる38寺を順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
15番 誓願寺から 17番 立願山楊谷寺をめざして
2018/5/9 誓願寺 ⇒ 阪急・長岡天神駅 12.2km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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延壽寺 |
渉成園 東本願寺の飛地の庭園 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
東本願寺 |
桂川を渡っています |
桂離宮横を通っています。 |
阪急京都線が高架になってできた線路沿いの道をたどりました。 |
2017/11/27 阪急・長岡天神駅 ⇒ 楊谷寺 5.3km
行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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長岡天満宮の正面大鳥居。 御影石製で高さ9.75m、笠木 12m、総重量50トン。これだけ大きいものを石で造るのは珍しいのでは?。鳥居をくぐっている時に地震が起きたらと考えると、・・・・・・・・。 |
長岡天満宮 八条ケ池と水上橋 長岡天満宮の東側に南北に細長くのびるこの池は、八条宮智仁親王にちなんだものです。江戸時代に当地一帯を領した親王が1638年に境内の東側に池を開き、翌年境内周囲に堀を掘ったと言われています。以来今日まで、農業用のため池として利用されてきました。 池のほぼ中央に伸びる中堤には、キリシマツツジが参道の両側に植わっています。 |
長岡天満宮の紅葉庭園「錦景苑」 |
長岡天満宮の紅葉庭園「錦景苑」 |
長岡天満宮の御社殿 |
長岡天満宮の末社の一つ:稲荷神社 祭神は五穀豊穣、商売繁盛の神とされる正一位稲荷大明神。 |
長岡天満宮 菅公が太宰府にご左遷の御時、道明寺から、こもやの里まで落ちゆかれる途中、時平の命を受けた笠原宿禰等が後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、松原の中から荒れ狂った白牛が飛び出て、宿禰の腹を突き刺しました。 よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。公は「都にて流罪極る前夜、不思議に逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫まで伴わん」と涙を流 してお喜びになりました。これにより牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれたのであります。そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、延喜3年( 903)2月25日の丑の日に薨去されました。 由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのであります。 HPより転載 |
長岡天満宮前を走る丹波街道から御陵道に入り歩いてきたが、京都縦貫自動車道をくぐり、小泉川(下っていって、桂川と合流)を渡り、これから山に入っていく。 |
御陵道のカンバンをたどって歩いています。 |
御陵道は住宅地内のアスファルト道となっていたが、案内石塔のここから細い道になった。土御門天皇 金原陵への道と途中まで重なっている。 |
山越えの道そばの竹林。たけのこ用に間引きされ、稲束が綺麗に敷き詰められていた。これほど間引いたほうが良くたけのこは出るのか不思議なくらい間引かれていた。 |
タケノコ用竹林が広がる中の道を登っていく。 |
17番 立願山楊谷寺 |
御詠歌 みほとけの なびく柳の谷水は 汲むにおいせぬ 薬なりけり |
参道から階段と山門を見上げる。 |
山門 |
檣楼 |
本堂 |
名勝庭園「浄土苑」 山の急斜面を巧みに利用した造りで、書院に座って眺める鑑賞式の庭園になります。ところどころに置かれた大きな石は菩薩様に見立てられており、十三仏(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩、不動明王など)や目菩薩、受菩薩などが安置されています。 |
弘法大師のお砂踏み |
独鈷水(おこうずい) 811 年弘法大師「空海」が眼病に悩む人々のために霊水にされた、霊験あらたかなる湧き水です。今も眼病平癒の霊水として信仰を集めています。 |
阿弥陀堂 |
護摩堂と経堂(後の白い建物) |
地蔵堂 |
弁財天 |
正一位眼力稲荷大明神 |
奥之院 |
奥之院 眼力稲荷 |
愛染堂 あいりきさん |
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