西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。 順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
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6番 壺坂山南法華寺(壺阪寺)をめざして
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2016/12/21 JR高野口駅⇒九度山駅⇒五條市⇒近鉄下市口駅 30.0km
10:33 JR高野口駅から九度山駅に向かって紀の川に架かる鉄橋を渡っています。背後の山は高野山。 |
11:53 大畑才蔵の生誕地:学文路(かむろ) の石碑。 大畑 才蔵(1642〜1720年)は、日本の農業土木技術者。江戸時代、紀州藩で、水利事業に大きな貢献をし、小田井用水路、および藤崎井用水路の紀の川から引水した大規模かんがい用水・疏水工事を行った人物として知られる。 |
11:57 かむろ地蔵。 弘法大師が高野山を開かれた時代、桜の名所として名高く「香室(かむろ)」と書きました。この里に住む高徳の士が、学問の道の教導に力を尽くされたために時の読めない人が一人も居なかったということで当時としては珍しいことでした。こうしたことから「香室(かむろ)」を「学文路」と書くようになったのです。 〜案内板より |
13:25 利生護国寺 真言律宗西大寺末の寺院で、地元では「大寺」と呼ばれています。奈良時代の僧行基が畿内四十九院の一つとして創建したとされます。その後、寺は荒廃しましたが、弘安年中(1278-88)に最明寺(北条)時頼が再興したといいます。 本堂は桁行 5間、梁間 4間、寄棟造、本瓦葺の建物。 |
14:42 犬飼山・転法輪寺。 弘法大師は、留学先の唐の国から日本に向けて三鈷を投げ、落ちたところに密教の修行場を建立すべく志を立てたと伝えられます。帰国した弘法大師が弘仁7年(816年)京を立ち、三鈷の落ちたところを探して大和の国宇智郡にやってきたところ、狩場明神と出会い高野山を開くことができました。この故事を後世に伝えるため、弘法大師と狩場明神の会見の地宇智郡(現在の奈良県五條市)に創建されたのが、犬飼山転法輪寺です。 |
14:42 犬飼山・転法輪寺 山門。 鐘楼堂を兼ねた造りになっている。赤い紐が見えるが、これを引くことで鐘を鳴らせる。前の人に習って引いてみたが、良い鐘の音が響いた。 |
14:43 犬飼山・転法輪寺 本堂。 寛永10年作・宝形造・銅板葺・内部折上・小組天女の建物。本尊である弘法大師をお祀りしています。その他にも不動明王、愛染明王、阿弥陀如来・聖天さまの他、裏堂には600体の修行大師像をお祀りしています。 |
15:17 「明治維新発祥の地」の立て看板。 幕 末の1883年、京都朝廷において尊王攘夷の断行を祈願するための“大和行幸”が決まった。これを機に一気に倒幕を果たそうとする中山忠光・吉村寅太郎ら 尊皇攘夷派の一部が、行幸の先鋒となるべく大和に入り挙兵して「天誅組」を名乗った。五條代官所を焼き払い、ここを「天朝直轄地」として近くの桜井寺を本 陣として「五條仮政府」と称した。 ところがこの直後、京都では政局が一変し、尊攘派の排除され大和行幸は中止。天誅組は大義名分を失い、一 転して“暴徒”として追討が命じられた。幕府も天誅組追討を命じ、1000人ほどの天誅組に対して1万人を超える追討軍にには手も足も出せず、挙兵から 1ヶ月余りで壊滅した。 皮肉なことに、このこの“天誅組の変”の5年の後に、明治維新が実現している。 五條においては、天誅組は幕末における下級武士らによる最初の武装反乱であり、倒幕・明治維新のさきがけとなる歴史的な“義挙”であるとして、「明治維新発祥の地」として記念碑を建立した。 明治維新のような歴史的な現象は、諸々の出来事や社会情勢などの混沌とした組み合わせの中で発生するもので、特定の事象から始まった(=発祥した)というのは相当な無理があるが、五條市は大真面目である。 発祥の地コレクション HP より転載させていただきました |
15:20 木造工場・倉庫と煙突。何の工場か解らなかった。湯浅醤油が紀勢線沿いにあったがそれと関係あるの? |
16:20 伊勢街道(国道370号線)に入った。峠を超えています。坂道を猛スピードで駆け抜ける車が怖かった。スピードの取締をやってほしい。殆どの車が30km/h位のオーバー。 |
2016/12/29 近鉄・下市口駅 ⇒ 壺阪寺 8.8km
9:41 石垣を組んだ、昔が偲ばれる大淀古道を行く。 |
9:50 安産の滝 壺坂寺から田口を通り、世尊寺(比曽寺)に通じる街道沿いにあり、昔からお産するものがその滝に打たれると、安産するという言い伝えによって名高い。 案内説明板より |
10:08 壺坂峠の少し手前の道標。 高取城は高取山山上に築かれた山城。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われた。なお、ここで出てくる「土佐」とは高取の旧名。 |
10:14 大淀古道の壺坂峠を通過中。 手前側は 下の看板に示される: 世尊寺 吉野山 向こう側はこれから向かう: 壺坂寺 |
6番 壺坂山南法華寺(壺阪寺)
御詠歌 岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん |
仁王門 |
仁王尊 |
灌頂堂 |
慈眼堂 |
三重塔 (重要文化財) |
禮堂 (重要文化財) |
御本尊の十一面観世音菩薩 |
八角円堂(本堂) |
多宝塔と灌頂堂 |
お里 澤市の像 |
めがね供養観音 |
天竺渡来の仏伝図レリーフ 「釈迦一代記」 南インド、カルナカタ州カルカラでインドの石に彫刻された。高さ3m、延長50m、重さ300トン |
天竺渡来の大観音石像 |
天竺渡来の大涅槃石像 |
中興堂 |
天竺渡来の大釈迦如来石像 |
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