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西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


5番 紫雲山葛井寺をめざして



2016/11/26   総持寺⇒大阪梅田   22.4km


  




行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。

祥雲山 慶端(けいずい)寺。   本堂       高槻市昭和台町二丁目
黄檗宗に属し、観世音菩薩を本尊とします。
持統天皇8年(694)、宇治橋架橋などで知られる僧道昭が創建し、法相宗に属して景瑞寺と呼ばれていたと伝えられています。江戸時代初期には、景瑞庵と呼ばれ荒廃していましたが、寛文元年(1661)頃、普門寺の龍溪が再興しました。境内には、後水尾法皇の歯や仏舎利を納めた聖歯塔、龍溪の木像や遺品を納めた開山堂があります。寺宝として、後水尾法皇の勅書をはじめ、後光明天皇の綸旨(りんじ)や隠元・龍溪などの真筆が伝えられています。昭和61年に本堂から見つかった木造菩薩坐像は、8〜9世紀頃の作とみられ、重要文化財に指定されています。    (市HPより)
祥雲山 慶端(けいずい)寺。  山門      高槻市昭和台町二丁目
茨城市に入った途端に目に入った環境衛生センター。「臭いものは市境に」が多すぎる。ごみの場合、移送費が嵩むだけなのに。まだこれが続いている現実。
東淀川区を歩いていて発見した大阪経済大学。
淀川に架かる長柄(ながら)橋を渡っています。右は新幹線の架橋。

橋は昭和58年に完成したもので、中央部の橋はニールセンローゼ桁というアーチ形の橋が採用されている。近代的なアーチに千年の時の流れを映している。  (Wikipedia より)
扇町公園。
約40年前、造船会社で大阪市大正清掃工場の基本設計を担当していて公園前の市役所事務所に何回と無く訪れたのが懐かしい。今はすっかり様相が変わってしまっていた。後ろに見えるのは、カンテレ。




2015/2/21   大阪梅田⇒南海・堺駅     14.6km  


熊野古道・紀伊路の一部「 大阪梅田  〜  南海・堺 」 をここに参入した。


2016/12/3   南海・堺駅⇒ 葛井寺    12.7 km  



8:42
  方違神社 から古墳(前方後円墳)の後円部を写す。

田出井山(たでいやま)古墳。    反正(はんぜい)天皇陵

墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。墳丘は3段に築かれ、そのかたちや出土した埴輪から、5世紀後半頃に造られたと考えられています。
8:42
 方違(ほうちがえ)神社。
崇神天皇の勅願により創建されたと伝えられています。
このあたりは、摂津・河内・和泉の三国の境に位置しているため、三国山、三国丘と称せれていました。三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古代より方災除けの神として参拝者が絶えませんでした。
奈良時代には行基が布施屋を設け旅人の休憩場所となるほど、人馬往来の中心となり、平安時代には、熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったと言われています。また、明治元年の京都から東京への遷都の際には17日間の祈祷が行われています。
8:44
方違神社。
9:06
金岡公園
10:38
大津神社     大阪府羽曳野市高鷲

古代には「古市大溝」という人工水路が近くに流れていたことから、当初はこの地を本拠地として貢物(みつぎもの)の輸送にかかわっていた渡来系氏族の船氏(ふなし)・葛井氏(ふじいし)・津氏(つし)のうち、津氏の祖先神を 祀(まつ)った社(やしろ)であったと考えられています。江戸時代には、丹下9ヵ村の氏神(うじがみ)として人々に崇拝(すうはい)されていました。
大津神社     大阪府羽曳野市高鷲
11:00  辛國神社  (葛井寺の横にある)     藤井寺市

延喜式にも記載のある古い歴史を持つ式内社で、物部の祖を祀ったことに始まります。室町時代には春日の神を合祀し、春日丘にその名を残しています。 その後、明治時代になって長野神社を合祀しました。深い緑に囲まれた長い参道は「大阪みどりの百選」に選ばれています。(藤井寺市観光協会HPより)
11:00  辛國神社  (葛井寺の横にある)     藤井寺市





5番 紫雲山葛井寺 葛井寺は、7世紀代に葛井氏の氏寺として建立されたと考えられます。その後、荒廃した時期もありましたが、何度かの修理や京築を経て現在にいたっています。
当寺が所蔵する室町時代の「葛井寺参詣曼荼羅」には堂塔は、薬師寺式伽藍配置として描かれており、創建時にも同様の伽藍配置を取っていたものと推定されます。現在では、境内に残された塔心礎をはじめとしたいくつかの礎石に当時の名残をとどめています。
本尊は脱活乾漆造の千手観音菩薩座像で、芸術的にも優れ、天平時代の代表的な仏像として国宝にも指定されています。
                           〜 案内板 より 〜

御詠歌       参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲
宗派         真言宗御室派
開基         行基、聖武天皇  
ご本尊        十一面千手千眼観世音菩薩(国宝)
創建         神亀2年(725年)
所在地       大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21



南大門
阿弥陀堂
太師堂
専心龍乗観世音菩薩立像。
鐘楼堂。
護摩堂。
本堂。
入り母屋造り。本瓦葺き。
四脚門(西門)
国の重要文化財。  桃山時代、1601年に豊臣秀頼のより再興された。切妻造、本瓦葺き。
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