西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


5番 葛井寺から 4番 槙尾山施福寺をめざして


2016/12/3     葛井寺⇒南海・堺駅   14.3km   


11:42
藤井寺市生涯学習センター2階:歴史展示コーナーの珍しい「白鳥のはにわ」
11:57    岡ミサンザイ古墳     (仲哀天皇陵古墳)
墳丘は3段に築かれ、くびれ部の東側のみに造り出しが設けられています。室町時代に城に利用されたため墳丘は改変を受けています。墳丘の周囲には幅の広い堀が巡り、堤上にも円筒埴輪が並べられました。墳丘や堤からは、円筒埴輪、形象埴輪が出土しています。
                                                 〜案内説明板から  
12:28

野中(やちゅう)寺   羽曳野市野々上五丁目9番24号     高野山真言宗の仏教寺院。
伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から、飛鳥時代〜奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明らかで、渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。
12:31     ヒチンジョ池西古墳石棺     野中寺境内に移されて展示してあった横口式組合型石棺

1948年ごろ来目皇子墓西方丘陵上より発見されたもので二上山の凝灰岩の切石で構築されています。
側面・上面・底面には二枚づつの、奥壁と入口部分には各一枚の切石が使用されており、入口の石は扉になっています。
いわゆる『横口式石槨』といわれる形式に属し、大和飛鳥の高松塚古塚の横口式石槨と似ています。
制作年代は、七世紀中頃と推定され、発見場所から羽曳野丘陵一帯に居住していたとみられる王氏一族(葛井・船・津) にゆかりのある人物の墳墓であろうと推定されています。
12:33   
野中寺の山門
14:04    大泉緑地
16:43 仁徳陵
前方後円墳の後円部の一部が見えているだけでその大きさはこの写真では想像できない。



2016/12/  南海・堺市駅 ⇒ JR和泉府中駅    

          熊野古道 紀伊路  の    2015.2.21 梅田〜貝塚間と走路が重なるので、ここに算入しました。



2017/3/29      JR和泉府中駅 ⇒ 施福寺    15.5 km



和泉府中駅から間近なところには、ビニールハウスとマンションが混在する不思議な街。
満願寺不動尊。




4番 槙尾山施福寺

御詠歌       深山路や 檜原松原 わけゆけば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる
宗派         天台宗
開基         行満上人
ご本尊        十一面千手千眼観世音菩薩
創建         欽明天皇時代(539〜571)
所在地       〒594-1131 大阪府和泉市槇尾山町136



正面から見た仁王門
後ろから見た仁王門 
藍染堂
かつて、勤操僧正がこの寺に住んでいるとき、空海(弘法大師)が訪れてきて、寺で修行し、この場所で剃髪し得度したという。愛染堂の前には、「弘法大師御剃髪所跡」と銘のある石碑、「弘法大師報恩感徳の為」と書かれた灯籠が建てられている。
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