西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


31番長命寺から32番 繖山 観音正寺をめざして


2017/1/5  長命寺⇒観音正寺  15.2km


10:38 百々神社   近江八幡市円山町
11:05 「西の湖」  湖岸を東進しています。
11:15  茅(ヨシ)の群生地
11:46 安土町のヨットハーバー
12:20安土駅近くの東南寺安土駅近くの東南寺
12:50 瓢箪山古墳近くの東屋   古墳は見当たらなかったが、、、、、
この古墳は滋賀県で最大規模を誇り、4世紀頃に造られた前方後円墳。
発掘調査の結果、古墳は竪穴式石室を持つ前方後円墳であることが判明した。古墳は観音寺山の山麓の尾根を削りだし、さらに土盛りして成形されていた。古墳の規模は、全長162m、前方部幅70m、前方部高さ70m、後円部径90m、後円部高さ18mだった。墳丘には葺石が敷かれ、円筒埴輪、壺形埴輪、特殊円筒埴輪が並べられていたが、周りに濠は築かれていなかった。
13:20  林道繖山線を歩いてきたが、ここから観音城大石垣(池田丸への追手道)へ向かう
13:25 参道といっても山道。登山靴が必要なような道を行く
13:34   平井氏屋敷跡
13:42  観音寺城跡
観音寺城は六角氏頼によって築かれた城で、六角氏の本拠として知られています。日本五大山城のひとつでもあります。「応仁の乱」では観音寺城をめぐり3度にわたって攻城戦が展開されました。戦国時代には六角義賢・義治父子が大幅な城の改築を行いますが、1568年(永禄11年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛した際に敗れ、無血開城しています。そのまま廃城になったため、荒廃してはいるものの土塁や石垣など、多くの遺構を確認することができます。なお、観音寺城は総石垣で築かれた、国内屈指の大規模な山城であったと考えられており、織田信長が安土城を築城する際に参考にしたという説もあります。




32番 繖山 観音正寺
きぬがささん

御詠歌       あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを
宗派         天台宗(単立寺院)
開基         聖徳太子
ご本尊        千手千眼観世音菩薩
創建         推古天皇13(605)年
所在地       〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町石寺2番地



本堂
本堂
1993年に火災によりに焼失し、2004年に再建されたもの。この火災により重要文化財に指定されていた御本尊である千手観音立像も焼失したため、新たな御本尊としてインドから取り寄せた白檀で造られた千手観音座像を祀っている。歴史的に古い物ではないが、インドの白檀は輸出禁止品であるため本来は取り寄せられない物であるが、重なる住職の交渉の末に特別措置として日本に持ち込まれた。札所本尊は通常秘仏であることが多いがこちらの千手観音座像は常時見ることが出来る。
縁結び地蔵尊   背後は石積み
護摩堂
本堂
濡佛
江戸時代から安置されていたようであるが、第二次世界大戦時に供出され、現存のものは以前のままの姿を映し昭和58年(1983年)に再建されたものである。

 「濡佛」の胎内には信徒が書写した写経が納められているという。
一願地蔵が納められている茅葺きの祠
境内から近江八幡方面を望む。
書院
鐘楼
仁王像。
下馬を示す石塔があるように、こちらが本当の入口。観音寺城跡側から入ったため、逆になってしまった。これから下る参道が本来のもの。
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