西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


28番成相寺から25番 播州清水寺をめざして


2017/4/25   成相寺⇒丹後鉄道・天橋立駅   5.6 km


天橋立       岩見重太郎試し切りの石
父の仇である三人を追って宮津に来た剣豪・岩見重太郎が、仇をかくまっていた京極家の許しを得て仇討ちをする際に、刀の切れ味を試したと言われる石です。岩見重太郎は、講談などで語られる伝説上の人物とも、豊臣家の家臣で大阪夏の陣で戦士した薄田隼人とも言われています。
         〜説明板から
天橋山 智恩寺の山門

宗派   臨済宗妙心寺派             開祖 平城天皇
御本尊 文殊菩薩(重要文化財)  
※  奈良県桜井市「安倍文殊院」、山形県高畠町「亀岡文殊」とともに、【日本三文殊】の一つに挙げられます         
智恩寺  力石
この石は、当地文殊に伝わる力石と呼ばれるもので、祭りや集会の余興にこの石を持ち上げ、青年達が力自慢を競ったものです。  石の重さ大130kg,中100kg,、小70kg
今では、当智恩寺に奉納され、この石に触ると不思議に力と知恵が授かると、今に伝わっています。
                     〜説明板から
智恩寺  多宝塔   重要文化財   室町時代(1500年建立)
智恩寺 文殊堂
智恩寺 鐘楼
智恩寺   鉄湯船
智恩寺 無相堂
天橋立〜宮津間は行きで一旦通ったので省略し、観光列車「あかまつ」で車を置いている西舞鶴に向かった。
あかまつ車窓からの奈具海岸。好天の空を写した海の青さと白い岩肌のコントラストが美しい。列車は一旦停止してくれた。
丹後鉄道・天橋立から乗った「あかまつ」 先頭車両から。由良川河口付近に架かる鉄橋を渡っています。
あかまつ車内。車窓から風景を見れるように座席配置に工夫が凝らしてあります。乗車整理券(310円)が必要だったが、コーヒーを出してもらって得した気分。
西舞鶴駅で。乗ってきた「あかまつ」の横には特急列車「丹後の海」(左の青い車体)。
JR九州の「ななつ星」などの列車デザインで知られる水戸岡鋭治氏がリニューアルを担当されたとか。



JR宮津駅⇒福知山⇒篠山口⇒相野駅

2000/10/22〜2007/9/15   
 いなろく(国道176号線) running through



    大阪・梅田から 宮津までを走り通した。  この区間の中の  


JR宮津駅⇒JR相野駅 

を ここに算入した。





行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウで地図が開きます。



JR相野駅⇒眞蔵寺⇒きよみず登山口⇒御嶽山清水寺

2015/10/24   JR相野駅⇒眞蔵寺⇒きよみず登山口⇒御嶽山清水寺   11.5km   

  
舞鶴若狭自動車道を抜けるトンネルを潜り抜けていく。虚空蔵山への登山口はこの横。 大川瀬ダム湖の上流端を跨ぐ橋から虚空蔵山を望む。
眞蔵寺横の三叉路を左折して清水寺に向かう。秋晴れの空が澄んでいて美しい。 眞蔵寺交差点付近の東条川に架かる橋からこれから向かう清水寺方向を望む。   
きよみず登山道入口。 徒歩での登山口に立つ石碑と地蔵。   
良く整備された登山道が続く。 高野山にもこのような丁石があったが、ここにも一丁ごとに建てられていた。カウントダウンで頂上に立つ清水寺に登っていく。   
稚児岩。
1386年。南朝忠臣「赤松氏範」が、山名・細川の大軍に攻められ、観音様の霊告によって、薩摩に落るべく、郎党二人をつけて五男乙若丸13才と袂別した場所です。ここより清水寺境内に入る粧堂がありました。  (説明板より)
右 ほつけ山(26番 一乗寺)   左 中山寺(24番) と示した石碑。清水寺に到る階段下に立つ。


25番 播州清水寺

御詠歌       あはれみや 普き門の 品々に なにをかなみの ここに清水
宗派         天台宗
開基         法道仙人  
ご本尊        十一面千手観世音菩薩
創建         627年
所在地       兵庫県加東市平木1194



登山道から寺への最後の階段。登山道から登ったので、500円の参拝料を取られずにすんだ。自動車登山道で料金を取っているようだ。 登山道からの入り口に立つ門。
本坊。
大正6年、京大 武田五一博士の設計により山上の杉材にて建築。
清水寺の庫裡(くり)で寺務所はこの中にあり、清水寺宿院として、宿泊・研修・合宿・昼食等に利用されている。(説明板より)
大講堂。
聖武天皇の勅願所。大正2年焼失、大正6年7月に再建された。。
大講堂大講堂と放生池。
根本中堂。
本尊 十一面観音は開山した法道仙人一刀三礼の秘仏となっています。大正2年炎上の際自ら避難。大正6年に再建された。
記念碑。
明治維新で上地処分された当寺の山林、九百余町歩が行政訴訟にて、明治三十九年7月に下戻サれた記念碑です。(案内板より)
多宝塔跡。
平清盛の武運長久を祈願して祇園女御により建立されたと言われています。明治40年に焼失。大正12年に再建されたが、昭和40年の台風にて大破。五間四面二層銅板葺の雄大な建物であった。(案内板より)
仁王門。昭和40年に台風にて全壊。昭和55年末に場所を変えて新築再建。
仁王門。駐車場側からの外観。 薬師堂。創建は清盛の義母「池の禅尼」
薬師堂内に安置されている「十二神将」 薬師堂内の本尊。
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