西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。 順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
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24番 紫雲山中山寺をめざして
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2016/11/2 書写山圓教寺⇒姫路城⇒みゆき通り⇒市川⇒御着城跡⇒JR宝殿駅 22.2km
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白鷺城とも呼ばれる姫路城。世界文化遺産となり賑わっていた。 |
青空を写して綺麗な堀と城壁。 |
大手門。 |
平成の大修理を終え、白い壁が生えて綺麗だった。 |
まだアーケードがここには残っていた。みゆき通り。 |
2号線を東進していて見つけた斬新なデザインのビル。 |
市川を渡る。 |
御着城本丸跡。 茶臼山城、天川城とも呼ばれ播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。1519年に小寺政隆が居城。1578年羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、1441年にはすでに構居が設けられていたとされ、1492から1501年頃には赤松氏の支配の拠点として守護所の機能を持つ城郭として機能していた。 |
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2016/11/9 JR宝殿駅⇒加古川市⇒播磨町⇒明石市⇒明石海峡大橋⇒須磨浦公園 34.4km
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加古川を跨ぐ加古川橋から上流側を望む。JR鉄橋の向こうには低めの山も。 | |
弥名寺(加古川城跡) 1577年、加古川評定(信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなった会議)が行われました。また、糟谷(内善正)武則(12代加古川城主)は、黒田官兵衛の推挙により豊臣秀吉に仕え、三木合戦においては箕谷ノ上付城(三谷ノ上付城)に布陣して活躍したとされています。また、境内には地人が哀れんで建てた南北朝時代の7人の武者の供養塔があります。これは南北朝時代、出雲神塩路高貞が加古川で追手に襲われた際、主君を守ろうとした従臣7名を供養するために建てられたものです。後に塩路高貞は、人形浄瑠璃等の代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩治判官のモデルとして取り上げられ、忠義話として紹介されました。 山門を入るといちょうの大木があり、昔から加古川の町の目印でした。 〜案内板〜 | |
加古郡播磨町にある高野山真言宗 圓満寺の五重塔。 | |
明石城の左:坤櫓(ひつじさるやぐら)と右:巽櫓(たつみやぐら)。 | |
訪れた時、菊花展覧会が開かれていた。 | |
明石城の堀。 | |
明石市立天文科学館。東経135度の子午線上に立つ。 | |
明石海峡大橋。全長3911mの世界最長の吊橋。主塔高さ298.3mで支柱間距離は1991m。全長、支柱間ともそれぞれ阪神・淡路大震災で1m伸びてしまった。 橋は水平のように思うかもしれないが吊橋で中央は上がっている。開通前のマラソンで走ったが、路面に立つと中央の路面の上がりはまるで壁のように立って見え、先は見えなかったのを覚えている。 | |
橋の科学館前から橋を見上げた。 | |
明石の舞子公園内にある孫文記念館:移情閣。八角形の1915年築の現存する日本最古のコンクリートブロック造建造物。 | |
垂水駅前の「海神社(わたつみじんじゃ)」。 | |
須磨浦公園駅についた頃には、辺りは薄暗くなっていた。 |
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1996/3/31 須磨浦公園⇒妙法寺⇒再度山⇒摩耶山⇒記念碑台⇒一軒茶屋⇒太平山⇒JR宝塚駅 54km
「第14回 六甲全山縦走タイムトライアル」 で 7時間8分のクロスカントリ-で走りきった。 この区間はこのデータを算入した。
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2016/11/12 JR宝塚駅⇒JR中山寺駅 4.2km
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176号線を歩いてきたがようやく中山寺への案内板が見えてきた。ここで左折した。 |
山手に見える中山寺。 |
御詠歌 野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため |
山門。 |
鐘楼堂 |
左から順に 大黒堂、寿老神堂、閻魔堂。 |
本堂 |
太子堂。 |
五重の塔。 |
大願塔(多宝塔) |
阿弥陀堂。 |
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