西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。 順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
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15番今熊野観音寺から16番 音羽山 清水寺をめざして
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2017/4/13 今熊野観音寺⇒清水寺 2.9km
スマホのGPSで行程をトレースした。別タグで開きます。 写真と見比べながら御覧ください。 |
新善光寺の山門 泉涌寺の塔頭の一つ。 寛元元年(1243)8月、僧・値願念西が歓進し、後嵯峨天皇の御願寺として一条大宮の地に創建された。勅命によって大工藤井為行、小工沙弥教弘らが信州信濃善光寺本尊と同体の全銅阿弥陀如来立像を鋳造して本尊とし、新善光寺と呼んだ。 南北朝、室町時代に入ると庶民の崇敬を受け、寺領も整って寺勢は盛んであった。しかし応仁の乱で灰燼に帰し、文明5年(1473)泉涌寺山内に移建、孤雲正瑞の再興により現域に落着くのは寛文年中である |
新善光寺の本堂 |
丈六戒光寺。 東山区泉涌寺山内町 泉涌寺の塔頭の一つ。 当山の創建は、鎌倉時代の安貞2年(1228)後堀河天皇の勅願所として猪熊八条の地に巨大な伽藍を持つ戒律復興の道場として建立され戒光律寺と呼ばれており、皇室、庶民の尊崇を集めていましたが、応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱により堂舎を焼失。本尊釈迦如来は兵火を逃れ仮に一条戻橋付近に移りました。 更に、三条河東に移築された後、正保2年(1645)後水尾天皇の発願により泉涌寺の塔頭とされ現在に至ります。尚、猪熊八条と堀川一条には現在も戒光寺町の名が残っています。 |
光明山 即成院(そくじょういん) 東区泉涌寺山内町28 泉涌寺の塔頭の一つ。 即成院とは、かつての寺名「即成就院(そくじょうじゅいん)」の略であり、所願成就に因む。本尊は、ぽっくり信仰を集め「ぽっくり寺」とも称されている。平安時代の伝説的な武将・那須与一(市)ゆかりの寺として知られ、「那須の与一さん」ともいわれる。 |
光明山 即成院 庭の枝垂れ桜 |
即成院の山門 |
御寺 泉涌寺 山門 ここら一帯が泉涌寺とその塔頭の寺が群がっていた。山門から続く参道は延々と続く。 |
総本山智積院(ちしゃくいん) |
総本山智積院 金堂 |
総本山智積院 鐘堂 |
南叡山 妙法院門跡 門跡とはかつては皇室関係の方が住職をしていたお寺のことを言います。 |
南叡山 妙法院門跡 枝垂れ桜と |
南叡山 妙法院門跡 大玄関と唐門 大玄関は元和6(1620)年、東福門院和子(後水尾天皇中宮)入内時に京都御所に造営された殿舎(一部)を移築したものと伝え、三室二十面の襖絵は狩野派による「松之図」で飾られ、建物と共に重要文化財に指定されています。平成22年3月には天皇皇后両階下の行幸啓がなされました。 唐門は、境内の南西隅、東大路に面して建ち、江戸中期の桜町天皇下賜と伝える、いわゆる勅使門で、呼称とは異なり檜皮葺・切妻造り・平入りの四脚門となっています ~案内板 |
南叡山 妙法院門跡 |
南叡山 妙法院門跡 普賢堂 江戸寛政期(1790年代)の建立とされ、梁間(7.1m)・桁行(8.9m)とも三間、土間床に龍図の鏡天井を持つ禅宗様の重層宝形造り、堂中央に本尊普賢菩薩像(重要文化財)、後段には元三大師、五大明王像が奉られます。 本尊は平安後期の造像と伝え、辰・巳歳の守護尊で殊に「健康長寿」のご利益を施すとされ「延命尊」と呼ばれています。 また、本尊後方の来迎壁は石踊達哉画伯により奉納された「清浄蓮草」で飾られています。 ~案内板 |
南叡山 妙法院門跡 宸殿 檜皮葺きの建物で、殿内仏間には、中世より天皇・皇后のお位牌が安置され、前三代の両陛下の詳月には懇ろに法要が営まれます。 |
大谷本廟 総門 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞の墓所 大谷本廟は、弘長2年(1262年)に浄土真宗の宗祖である親鸞が死去した際にその末娘の覚信尼が知恩院の山門の北側に遺骨を安置する廟所を造営したのが始まりです。以来、親鸞と歴代宗主の廟所となっています。その後、慶長8年(1603年)に江戸幕府によって現在地に移転させられました。 大谷本廟は、西本願寺の親鸞の廟所。大谷祖廟は東本願寺の親鸞の廟所。 徳川家康が、本願寺を東西に分派したのは、若い時に浄土真宗の信者達が起こした一向一揆に苦戦したからだと言われています。本願寺が大きくなると再び家康を悩ます恐れがあるので、東西2つに分けてその力を分散したわけ。 |
16番 音羽山 清水寺
御詠歌 松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん |
仁王門 |
鐘楼 |
三重塔 |
随求堂 |
経堂 |
開山堂 |
轟門 |
轟門から本堂に至る廊下。 |
納経所で御朱印を書いてもらった後、もうすぐ白装束の一行がみえるのでそこで座って拝んでいなさい言われて拝んでいると私の頭をなでて急ぎ足で駆け抜けていった。 後ろは工事中の本堂。昔ながらの木組みの足場。 |
百体地蔵堂 |
奥の院 |
清水寺泰山寺 子安塔の麓にあり塔を守護する寺院。洛陽三十三所観音霊所の第14番札所。 聖武天皇と光明皇后が御子の誕生を祈願し安産したので建立されたとの伝説をもち、 塔内に六センチほどの小観音を胎内に宿す千手観音を祀り、古来、安産の祈願塔として有名。明治末年まで仁王門右手前にあった。 |
清水寺泰山寺 子安塔 |
奥の院から本堂、轟門、三重塔を望む。散り始めの桜もきれいだった。 |
音羽の滝 |
清水善光寺 |
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