西国三十三所巡礼 

西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。

順不同でつないで歩いて行きます。

なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。

 


30番竹生島宝厳寺より14番 長等山 三井寺をめざして

2017/4/6   宝厳寺⇒今津港⇒JR近江今津駅     Sailing+0.3km   


スマホのGPSで行程をトレースした。別タグで開きます。
写真と見比べながら御覧ください。

竹生島からの船をここ今津港で下船。
駅前の小さな名もない寺で。隣りにあった「びわ湖就航の歌記念館」にも立ち寄った。




JR湖西線・近江今津駅⇒JR湖西線・大津京駅

             びわ湖一周 Jog&Walk のうち 
                           2015.3.22           近江高島 ⇒ 木ノ本
                           2015.2.11           大津    ⇒ 近江高島
                    とルートが重なるため、ここに算入した。


2017/4/6    JR湖西線・大津京駅⇒ 長等山・三井寺    1.9 km  



7分咲き桜の奥に見えるのは皇子山野球場   
三井寺の手前で隣接する「総本山・圓満院門跡」寺院と手前は石庭。

圓満院は、寛和三年(987年)創立村上天皇の第三皇子悟円親王の開基です。三井三門跡の一つであり、開基当時は平等院と号した。藤原道長が宇治に建てた別荘をその子藤原頼道の時代に寺院とするべく下命があり、平等院(後の圓満院)の明尊大僧正によって完成、悟円親王の子永円親王を初代院主として三井平等院の名前を宇治に譲り、現在の宇治平等院の初めとなった。一方三井平等院は明尊大僧正によって圓満院と命名され悟円親王をはじめとして歴代皇族の入室する門跡寺院となりましたが、室町時代後期まで圓満院は三井平等院と通称されました。        〜門跡HPより




14番 長等山 三井寺(圓城寺)

御詠歌       いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖
宗派         天台寺門宗(総本山)
開基         大友与多王
ご本尊        如意輪観世音菩薩
創建         朱鳥元(686)年
所在地       〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246



 大門(仁王門)         重要文化財
入母屋造の楼門(2階建ての門で、下層と上層の境には屋根の出を造らないもの)。もと近江の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したもの。墨書銘等から室町時代の宝徳3年(1451年)の建立と推定される。          〜Wikipedia
釈迦堂(食堂)       重要文化財
大門を入って金堂に至る道の右側にある。天正年間(16世紀末)造営の御所清涼殿を下賜され移築したものと伝える。            〜Wikipedia
辯財天社
御本尊の辯財天は鉾、剣、斧、輪、索、弓、矢を執り能弁及び学問、技芸の徳をそなえる女神である。また、人をして無礎弁財を具足し福智を増益し延寿および財宝を得しめる神として古くより崇拝されている。        案内板より
近江八景「三井の晩鐘」
一般には近江八景の「三井の晩鐘」として知られるこの梵鐘は、 「天下の三銘鐘」の一つにも数えられています。 姿の立派な宇治平等院の鐘、由緒の正しい高雄神護寺と、音色の美しさで選ばれた三井寺。 つまり、三井の晩鐘は、日本一の響きであると認められているのです。
圓城寺金堂    国宝
三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院が慶長4年(1599年)に再建した。入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂である。なお、移築された旧金堂が延暦寺に現存する。   〜Wikipedia
圓城寺・閼伽井屋(あかいや)        重要文化財
金堂の西に接して建つ小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立された。堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出している。     〜Wikipedia
弁慶の引摺り鐘
無銘だが、奈良時代に遡る日本でも有数の古鐘である。伝承では、俵藤太こと藤原秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われ、その後比叡山と三井寺の争いに際して、弁慶が奪って比叡山に引き摺り上げたが、鐘が「イノー」(「帰りたいよう」の意)と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという。現状、鐘の表面に見られる擦り傷やひびはその時のものと称する。歴史的には、この鐘は文永元年(1264年)の比叡山による三井寺焼き討ちの際に強奪され、後に返還されたというのが史実のようである。
圓城寺・一切経堂
室町時代の建築。毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築したものという。輪蔵。室町時代の建築。毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築したものという。輪蔵。    〜Wikipedia
  一切経を納めた八角形の輪蔵(回転書架)
圓城寺・塔姿(三重塔)
鎌倉時代末期から室町時代初期の建築。奈良県の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたもの。鎌倉時代末期から室町時代初期の建築。奈良県の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたもの。    〜Wikipedia
  圓城寺・長日護摩堂
  圓城寺唐院・四脚門
  三井寺別所・微妙寺
  圓城寺・毘沙門堂
観音堂の近くにある小堂。元和2年(1616年)の建立と伝える。     〜Wikipedia
  十八明神社
  鐘楼   重要文化財
金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る。この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられている。     〜Wikipedia
  百体観音堂
  観月舞台
  三井寺観音堂
寺域の南側、琵琶湖を望む高台に位置し、西国三十三所観音霊場の第14番札所として知られる。観音堂は元禄2年(1689年)に再建されたもの。      〜Wikipedia
  手水屋
 馬屋
上屋は立派だが、足元が頼りない。阪神大震災で1階が駐車スペースになっていた建物の1階がペシャンコになってしまったが、これもそんな構造。

トップページへ 練習日誌へ 記録集へ Maranicへ ぶどう栽培日誌へ 掲示板へ Linkへ