西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。その総距離は1000kmに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。 順不同でつないで歩いて行きます。 なかなか踏破は難しそうですが、時間をかけてチャレンジします。 |
---|
9番南円堂から10番 明星山三室戸寺をめざして
|
13:23 奈良県から京都府に入った。これから木津川市のJR片町線沿いを北上する。 |
13:37 安養寺 京都府木津川市市坂久保川 念仏石縁起碑によると、 <1195年3月法然上人が大仏殿再建落慶法要に導師として招かれ、念仏のみを修し帰洛したところ、諸人がその跡を追ってきて、念仏のみを修し、他の法儀をのべなかった訳を法然上人に問いただした。 上人は一枚の紙に名号を認め、傍らにあった石と重さを量ったところ、名号の紙が下にさがり、石の重さより念仏の重さの方が重いことを見た諸人は上人に帰伏し、その石を念仏石と名付けたと。> |
2017/3/25 JR片町線・祝園駅 ⇒ 三室戸寺 19.1km
7:32 下狛(しもこま)駅付近。 この付近約10km、右(JR片町線、単線)と左(近鉄京都線、複線)が平行して走る。 |
8:33 飯岡車塚古墳。 前方後円墳 長さ81m、後円部の直径60m、前方部の幅は45m、高さ4.5m、竪穴式石室で明治35(1902)年発掘の際に石釧、車輪石、鍬形石、勾玉、管玉など、多くの玉石製品が出土した。古墳の表面は葺石(ふきいし)でおおわれ、周りは埴輪(はにわ)で囲まれている。埴輪のなかには楕円筒埴輪があることが、昭和51(1976)年の発掘調査でわかった。石室の大きさから4世紀後半とされる。現在は前方部は茶畑となり、後円部には「上殖葉王古墳(かみえばのみこ)」と記した石標が立つ。 |
8:48 木津川に架かる山城大橋を渡っています。 |
10:44 神明皇大神宮の内宮。 当社は、白鳳三年四月(674)天武天皇の詔により、栗子山に神殿を造営、市杵嶋比売命を祭神として神明神社と称えられたのが起源とされる。 桓武天皇延暦十三年(794)都を平安京に遷され、当地が都の巽に当たるので伊勢皇大神宮を勧請この地を宇治と号し屡々行幸された。その後延喜四年(904)醍醐天皇の詔により新たに社殿を造営、伊勢内・外皇大神宮及び雨宮・風宮。稲倉魂命の御分霊を祭り歴代天皇が行幸されたが、南北朝の争い等により社殿は大破する等したので、康和元年四月(1099)に現在地の洛南の景勝地であった神明山に移されたが、たび重なる兵乱により神領は減少し現代に及んでいる。 境内には、宇治市名木のしゃしゃんぼ及び椎の大木が昔の名残を止めている。また、山崎の合戦に敗れた明智光秀が山科に逃れる途次隠れたと言伝えのある古井戸を藻隱池と称し現存している。 ≪神社案内板「由緒書」より≫ |
10:44 神明皇大神宮の内宮。 |
宇治代官所跡 上林家は、徳川家康が本能寺の変(1582)で堺から三河に逃げ帰る際、上林久茂らが近江信楽まで先導した功績により代官に取り立てられたと伝えられている。 上林一族の代官支配は、江戸時代の初めころから寛保三年(1743)までの百数十年七代にわたって宇治の代官として君臨した。寛保三年から寛政十二年(1800)までの五十七年間は宇治に居住しない代官がこの任にあたった。 その後、寛政十二年から天保十四年(1843)の四十三年間、上林六郎久忠が代官に就任しそのあと久建、久賢が代官職を勤めた。以後宇治郷を支配する代官は京都代官小堀氏、信楽代官多羅尾氏の兼務で引き継がれ、明治維新におよんだ。 代官所のあった宇治妙楽160番地は明治五年八月には宇治町役場となり、また明治六年二月に開校した菟道小学校の門は、代官所の門が使用された。その後、この役場は、昭和二十六年の三月に宇治市役所となり、宇治市制が発足した記念すべき場所で、昭和三十八年に現在の宇治市役所(宇治琵琶三十三番地)に移転するまで続いた。 『宇治代官所跡案内板』より |
古い家並みが保存されている |
11:17 紫式部の石像。後ろは宇治川に架かる宇治橋。 源氏物語と宇治 「源氏物語」は十一世紀初めことから作られた長編小説です。作者は全部で五十四帖(巻)からなります。このうち最後の十帖は、光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋の物語で、特に「宇治十帖」と呼びます。「橋姫」ではじまり、「夢浮橋」でおわる「宇治十帖」には、朝霧にけむる宇治川の流れが不可欠でした。「源氏物語」は実話ではありませんが、いつの頃からか、物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。いま古跡を訪ねることで、遠く王朝文学の世界をしのぶことができます。 ※ 境内掲示より |
10番 明星山三室戸寺
御詠歌 夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波 |
11:40 三室戸寺の入口に立つ石柱。入山料500円は伽藍の数に比して高いように思う。 |
11:42 山門 |
11:45 「ようおまいり」と書かれた石塔から続く階段。 |
11:47 本堂 |
11:51 本堂に祀られている千手観世音菩薩 |
11:51 賓頭盧(びんずる)の座像 お釈迦様の弟子で、体の病気を治し健康を分け与える仏様です。古くからそれにあやかり 賓頭盧さんの体の箇所を撫でると撫でた人のその箇所が必ず治ると言われています。 |
11:51 阿弥陀堂 |
11:54 鐘楼< |
11:55 三重塔。 まだ開花宣言はない奈良だが、桜は咲き始めていた。 |
12:00 十八神社 |
12:15 与楽苑の枯山水庭園 |
![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |